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第3号 (1999.03)
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創刊号(1998.09)

 

ここでは一部を掲載しています。

2年半を迎える台湾の住宅復興
垂水英司(神戸市住宅供給公社副理事長)
<ビジュアル版 再調査 @>
21世紀に生き続ける電車住宅
松本 滋(文庫運営委員)

2年半を迎える台湾の住宅復興
垂水英司(神戸市住宅供給公社副理事長)
 1999年9月21日台湾の中部地区を中心に大地震が発生し、既に2年半になろうとしている。現在公共施設の復旧や多くの被害を出した学校の再建などはほぼ見通しがたち、複雑、多岐にわたる問題を抱える住宅復興に焦点が集まりつつある。5年間神戸の住宅復興に携わり、また、復興経験を伝えるため震災2ヶ月後の台湾を訪れた私にとって、台湾の住宅復興はその後常に気になる存在となった。
 以下、簡単に台湾の住宅復興について紹介したい。

住宅被害の三つの枠組み
 まず住宅被害の状況であるが、全壊50,644戸、半壊53,317戸で合計103,961戸の住宅が被害を受けた。阪神大震災の住宅被害の概ね7割程度、神戸市内の被害にほぼ匹敵する。しかし今回の台湾地震は台中市など大都市部にも被害が及んだが、むしろ経済基盤の弱い農村集落さらには原住民集落が点在している山麓地帯に被害が広がったところに大きな特徴がある。したがって阪神大震災の壊滅的集中的被害を受けた大都市復興とは異なり、大都市、農村集落、山村部落などそれぞれ地域の特色を踏まえた住宅復興が焦点となった。
 さて現在住宅復興は、個別住宅再建と今回の地震で大きな被害を受け独自の対策が必要な集合住宅再建、更に面的整備に関連した再建と大きく三つの枠組みで推進されている。それぞれの枠組みに該当する全壊戸数を見てみると、全体の概ね3分の2が個別住宅再建として、5分の1が集合住宅再建として、そして残り5分の1が面的再建として取り組まれている。

すばやかった緊急措置
 台湾の住宅復興では震災直後のきわめて早い時点で、慰労金として全壊世帯に20万元、半壊世帯に10万元が、また、仮設住宅に入居しない被災者に対し家賃補助として1人当たり月3000元(1年間、2年目は支給制限を付けて延長)の現金支給が決定された。阪神大震災でも復興の途中で生活再建支援基金や民間賃貸住宅家賃補助が実現したが、台湾の場合は震災直後直ちに支給されたこと、あるいは所得等の制限なく一律に支給されたこと等で、その意味に大きな違いが生じたといえよう。例えばそれは仮設住宅の建設量が少なくて済んだことなどに端的に現れ、その後の復興プロセスにも影響を与えている。更に中央銀行による1000億元の住宅再建や修繕のための特別融資(最高350万元、150万元までは無利子)がいち早く打ち出された。
 このように現金支給や特別融資によって条件に恵まれた被災者は再建に着手できたものの、当然様々な困難を抱える被災者も多く、その後の復興過程を通じ自力再建支援のための各種施策が決定され、修正されあるいは追加されていくことになった。例えば、設計費や汚水処理施設設置費に対する補助等が用意されたり、更に低所得者層に対しては最高50万元の補助を支給する制度が創設された。また融資に際し必要な担保が用意できない被災者に信用保証を行うシステムが創設されたりしている。
 行政手続きの簡素化など規制緩和措置が「緊急命令」の元に大胆に検討されたのも、今回の台湾における復興の特徴でもある。例えば建築申請手続きについては使用許可証のある合法建築物について、元の建築許可の戸数、面積、用途、高さ内で現地建替えする場合は建築許可を免除するなど大幅に緩和された。また、建築の容積についても容積緩和が広く認められている。

 
土地問題も大きなネック
 今回の台湾の復興にとって大きな障壁になったものに土地関連の問題がある。これには大きくふたつあって、一つは地層が大きく移動したため生じた土地境界問題であるが、あと一つは土地に関する権利問題である。台湾の農村部、山間部では共有地や祭祀公業(ある種の財産区のようなもの)といった伝統的土地所有形態が広く残っていたり、また、公有地上の占用問題が未整理の状態で存在する。これらの問題が震災を契機に一気に表面化し再建の隘路となった。これに対し手続き上の特例的取り扱いをするなど、当局もその処理の支援に様々な対策を用意してきているが、なかなか問題は根深い。
 以上のような一連の支援策により個別住宅再建はかなり進捗してきた。しかしながら依然として、@再建資金の調達が困難である、A土地の権利関係が解決できない、B建築規制などによって建築が難しい、といった理由でハードルを越せない被災者も多く、今後の課題として残されている。この中には簡易住宅を建ててしのいでいる被災者も多く、これら簡易住宅の改善問題も浮上してきている。

合意形成が難しいマンション再建
 台湾地震においては集合住宅が大きな被害を受けたことも特徴の一つである。全壊したマンションは111棟、10,537戸にのぼるが、これは阪神大震災のマンション被害にほぼ匹敵する。マンション再建をめぐっては、@区分所有者の意見調整がむつかしい、A2重ローンなど負担能力の少ない居住者がいる等、日本とも共通する問題点に加え、B死者が出た住宅に戻りたくないと言う心理が強い、C全半壊判定をめぐる紛争が長引いたケースがあるなど、台湾独特の問題点もあってその困難性がしだいに表面化し、集合住宅再建が成功するかどうかが台湾における住宅復興の重要な鍵の一つとみなされている。
 マンションの再建に対しては、一般の個別住宅に対する融資等の支援に加え、専門家による相談や初動期の支援が用意された。マンション再建の手法としては、全員同意による「原地原面積再建」と「都市更新条例による建替え」の二つの方式がある。都市更新条例による建替えは手続きに時間を要する反面、3分の2の同意があれば可能であり、初動期の支援だけでなく設計費、事業計画費などの助成や容積緩和など支援も厚い。しかしそれでもなかなか合意に至らないマンションも多いため条例の建替え同意要件を2分の1に下げるなど大幅な緩和をはかった。そのほか再建に加わらず転出する被災者の住宅を買上げるデベロッパー、区分所有者などに対する融資、利子補給、減税といった支援を追加したり、さらに被災判定をめぐる紛争調停の最終鑑定をする委員会を立ち上げたりしながら、マンション再建を進めようとしている。
 現時点でマンションの再建として建築許可がなされたのは11棟、733戸で、内完成したのは1棟40戸にとどまっている。なお、都市更新申請をした集合住宅は67件にのぼっているものの、手続きに時間を要することからなお完成までに曲折もあり得る。いずれにせよ集合住宅再建は合意形成の難しさなどから個別再建などと比べ復興ペースは遅れており、今後その推進が大きなポイントとなっている。(実績は2001.9時点、以下も同じ)

広がりをみせる「まちづくり」
 すまい再建のもう一つの柱として面的整備による再建がある。台湾地震では農業地域を抱えた地方小都市や山間部の村落が大きな被害を受けたことから、住まいや農業の復興を含めた地域再生のまちづくりが大きな課題となった。震災後、多くの地域で住民の自主的な救援活動が始まる一方、ボランティアや民間団体、専門家が各被災地へ支援に駆けつけ、その中から住民に協力して復興まちづくりを進めていくといった地域も少なからず現れた。台湾ではこの10数年来コミュニティに根ざした総合的なまちづくり運動(社区総体営造)が積み重ねられてきており、震災を契機にこうした動きが一段と広がり新しい展開をしているといえる。
 一方、行政院が策定した復興計画ガイドラインでも「コミュニティ再建計画」が4本柱の一つと位置づけられた。この「コミュニティ建設計画」は、“下から上へ”積み上げることを原則にして、各郷鎮市あるいは必要な社区ごとにもそれぞれ住民代表なども含めた再建委員会を設置、専門計画チームがそこでの意見や審議を踏まえながら、各地区ごとに定めるものである。このため被災地の5縣と台中市および縣内の郷鎮市において、200を越えるコミュニティ単位の再建委員会が立ち上げられた。計画策定の内容や参加の程度や自発性、論議の深さなどは様々あるものの、相当数の地域単位の計画が住民、専門家参加のもとに策定された意義はやはり大きいといえるだろう。ただ策定作業は必ずしも順調に進まず、復興事業と直接結びつかなかったなど多くの問題も指摘されている。

面的再建……注目される今後の展開
 さて、震災復興の面的整備の具体的な手法としてはまず都市更新がある。震災の前年1998年制定された都市更新条例は、区画整理、再開発方式さらに修復的手法を総合的一体的に含み、かつ、民間事業者などの幅広い参画方式を盛り込み、さらに適用範囲も今回の震災で集合住宅の建替えも対象になるなど幅広い都市整備に対応できる仕組みになっている。当然のことながら復興への活用に期待が高まった。現在震災復興として都市更新の申請がなされているのは96件である。この内の7割に当たる67件が先に述べた集合住宅の再建にかかわる都市更新であるが、それ以外に都市市街地レベルでの都市更新が22件、農村市街地レベルでの都市更新が7件となっている。
 農村地域の集落整備としては農村地区区画整理を行う地域もあるが、一般には農業委員会の所管として「農村集落再建事業」が推進されている。この事業は、被災状況がきびしく、再建意欲の高い農村集落を「再建計画地区」と位置づけ、専門家チームの支援を得て、住民参加の下、農業発展や住宅再建を含む集落復興計画を策定し、それに基づいて農村住宅の再建支援(基準に合致した住宅に対し20万元の補助)と公共施設の整備の両面から支援していこうというもので、いわば修復的事業である。当初再建計画地区として74集落が指定され、更に35集落が追加された。
 次に原住民集落の復興がある。今回の震災で大きな被害を受けた原住民集落はもともと社会経済基盤も弱く、また山間地で地質や地盤、土地条件など問題も多く、特別の対策が必要であった。例えば全壊20万元の慰助金支給についても、原住民の場合は更に12万元加算されることになっている。原住民居住地区の中で大きな被害を受けた23集落が再建計画地区に指定され、農村集落再建とほぼ同様の方式で事業が進められる。このうち7集落は山地の崩壊状況などから現地復興が困難と判断され集団移転することになった。なおこうした村落移転は原住民集落以外でも土石流のため現地再建が不可能になった12カ所、500戸の村落でも実施される。
 こうした面的再建は全体として計画段階や事業の初動期といった段階であり、わが国と比べ面的都市整備の経験、蓄積の少ない台湾で、今後どのように展開するのか注目されるところである。

新社区開発に注目
 面的再建の方式の最後に新社区開発がある。これは、様々な理由で現地再建ができない被災者に対し、新しいコミュニティ開発をして移転を図ろうというもので、断層帯、土石流危険区域上の被災者のほか、公共施設抵触者、整理不能の共有土地、祭祀公業土地等の被災者あるいは低収入世帯、高齢障害、一人暮らしなどの弱者が対象になっている。現在7地区(約1600世帯収容)において計画が進められている。この新社区開発は、縣市が被災者の需要を把握し、土地収用や区画整理などの方式で開発を行い、完成後被災者に分譲することになっている。この新社区に予定される住宅については一般の分譲住宅のほか、低収入世帯のための賃貸住宅、高齢障害、一人暮らしなど弱者を対象にした無料の救済住宅など復興当初は予定されていなかった賃貸住宅についても建設が計画されている。つまり、新社区開発はこれまでの施策では救済の困難な被災者対策として従来の支援策から一歩踏み出そうとしているだけに、その成り行きに注目したい。

日本との比較の視点
 台湾の住宅復興プロセスをごく概略的に見ると、まず震災直後一時金、中央銀行の低利融資、家賃補助という全被災者を対象とした資金援助施策をいち早く打ち出し、その後こうした一般的支援では対応できない課題に対し各種の個別支援制度を積み重ね、さらに個別住宅再建の枠組みでは対応できない集合住宅再建や、都市再開発、農村あるいは原住民集落整備など面的整備についての支援システムを順次用意しながら進んできたといえる。阪神大震災の住宅復興では公的住宅の直接の早期大量供給で主導することにより、低家賃住宅の提供といった成果をあげる一方で地域コミュニティなどで問題点を残した。台湾では公的セクターが直接的な役割を演ずるのでなく、あくまで自力再建、民間再建に対して多面的に支援することが基本で、この点際だった対照をなしている。そのことが被災者の個別的で多様な再建行動を広く容認することにつながっているし、地域コミュニティの維持にも関わっているように見受ける。しかし、こうした間接支援だけでは再建にいたらない被災者に対する課題が浮上してきていることも事実である。再建必要住宅戸数約5万戸(921推動委員会の試算)のうち、既に完成したもの、建築許可が出たもの、融資申請しているものなど目途のついたものが現時点で2.5万戸を超えているが(2001年9月)、依然として約半数の被災者については目途がついたとはいえない状態である。そして現在こうした困難層に対する対策として推進しようとしているのが賃貸住宅の建設を含む「新社区開発」であるが、これは間接支援から直接供給に一歩シフトした施策といえるかも知れない。
 今回は触れなかったが、台湾と阪神の住宅復興過程を比べて見ると、台湾では民間資源の役割が大きいこと、中央と地方の役割をめぐる差異、柔軟で多様な対応能力を持つ台湾の社会構造などなど多くの重要な比較のポイントがあるように思う。いずれにせよ台湾の復興は2年半を迎えたばかりであり、なお大きな曲折も予想される中今後を注目したい。(似顔絵・カットは筆者)



<ビジュアル版 再調査 @>
21世紀に生き続ける電車住宅

松本 滋(文庫運営委員)
 文庫の安藤、中島熙八郎、海道、松本の4人組は、『ビジュアル版―日本のすまい』の編集作業を着々とかつ遅々として進めているが、西山版『日本のすまい』以後どうなっているのか?も見ていきたいと話し合っていた。

まさか!
 47年後の2001年になって電車住宅が生き残っているという情報が飛び込んできた。まさか、と思ったが地元の広原理事長が「ホンマヤ」と証拠写真を持ってきた。早速4人で現地に行ってみた。周辺は府営・市営住宅や木賃住宅、マンション、建売が狭い路地に並んでいる。その一画に三階建て住宅など10戸のさまざまなタイプの住宅が並んでいる。よく見るとその中に2戸だけ電車住宅が残っていた。意識していなければ見過ごしてしまいそうである。その他は建て替えられているが、電車住宅当時の敷地割りを崩すことなくその敷地一杯に建てられている。残っている電車住宅を含む4戸は当時からの入居者が住み続けており、他の6戸は転売されて入居者は替わっている。

子どもも60代
 残っている電車住宅はいずれも以前の西山調査の対象外である。そのうち、一戸は、南に6畳、4.5畳と玄関を素人普請のような平屋で増築しており、北側も波板のひさしを増設しているため電車住宅は半分埋もれた形で外観からは判然としない。しかし、電車住宅そのものは完全に残っており、主要部分は物置としてしか使っていないが、台所や便所は使いつづけられている。ここは、母と4人兄弟(男2人、女2人)が住んでいたが、約5年前に母親は亡くなり60歳前後の兄弟3人が暮らしている。彼等の証言。
「終戦直後は「母子寮」に居たが、子どもが16歳になると寮を出なければならず、市からここか山科区醍醐の市営住宅を斡旋されここに住んだ。5人で住むには狭かった。塀もなかったので人々が面白がってのぞきに来て困った。」
「20年くらい前に市がアパートに建て替える話があった。土地は市のものだったが、入居時に土地は払い下げるという約束があった(入居者の思い込みのようだが)ので母親たち何人かで市役所と交渉して払い下げを受けた。その後増築した。電車はまだ使えそうだったし、金もなかったのでかっこ悪いけれども残した。電車をつぶして建て替える人も、土地を売って出て行く人もいた。」

オリジナル
 もう1戸は増改築もなく、電車住宅がオリジナルな形で残っている。防水が傷んだからか屋根にキャンバスのカバーがかけてあり、不思議なデザインとなっている。子どもはすでに家を出ており、高齢の女性が半分寝たきりでヘルパーの介護を受けながら一人暮らしをしている。今は手入れもできず、庭も外観も荒れはてているが、それまでは電車住宅だけでこぎれいに暮らしていたことが想像される。

京都市電はエライ?
 電車住宅を考えた人も、入居した人も、そして電車自身も、まさか半世紀を超えて21世紀にまで住み続けられるとは夢にも思わなかったであろう。戦後の困難な時代に恵まれない母と子の生活を支えつづけた電車住宅であるが、その境遇を脱するのは世代を超えても容易ではなかったようである。それでも電車住宅は、必要とされる限り健気にすまいとして支え続けようとしている。やはり、京都市電はエライというべきか。それとも市電にここまで世話にならなければならなかった日本のすまいを嘆くべきか。

<NPO西山記念文庫>
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