レター14号(2001.12.01)

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第2号(1998.12)
創刊号(1998.09)

 

ここでは一部を掲載しています。

西山先生と考現学
西川幸治(滋賀県立大学学長)
建築アーカイブの重要性
加藤雅久(居住技術研究所)

西山先生と考現学
西川幸治(滋賀県立大学学長)
 思いだせば、もう半世紀も昔のことになろうか。ある研究会の場で、西山先生は「今和次郎という人が、モデルノロヂオ(考現学)という本を出しているのを知っているか」と話された。その後で、西山先生の研究室―教室の丸い階段をあがったところにあり、その後私はこの研究室を使わせていただくことになったのだが―の西側の窓のところで、うず高く積まれたたくさんの本の中から『モデルノロヂオ』の大型の本をみせていただいたことを覚えている。西山先生は、「今和次郎さんは、いつもズック靴で、決して革靴をはかれなかった。それは学生のころ、書生をしていて、その主人の革靴をいつも磨かされたから、その反撥で革靴をはかなかったのだ」というエピソードを紹介された。

今和次郎の考現学
 今和次郎が「考現学」を提唱したのは1924年ころであった。当時、民俗学に関心をもち柳田国男のもとで民俗学資料の採集に努めていたが、大正12年(1923)関東大震災にであった。大震災の廃墟から、めざましく復興する東京の変化に注目し、今和次郎はその変化を記録したいという気持ちに駆られた。銀座の風俗調べをやり、1925年には紀伊国屋でその展覧会をひらき、好評を博している。やがて、吉田謙吉と共著で、1930年『モデルノロヂオ』、翌31年『考現学採集』が出版された。
 今和次郎の「考現学」は明らかに考古学に対するものであり、民俗学が村落を対象とし、その過去の風俗を追求しようとしたのに対し、考現学は都市を対象とし、その現在の風俗を観察しようとしたのであった。震災後の復興に注目し、「新しくつくられていく東京はどういう歩み方をするものかを継続的に記録する仕事をやってみたくなった」(考現学とは何か)と記しているように、考現学は文字通り「街上における統計の収集」を試み、「現代の生活様相がいかなる特色を有するものであるか」(考現学総論)を明らかにし、「民俗学は過去を探り、考現学は未来を考える立場」(「考現学」が破門のもと)だと主張したのである。
 たしかに、今和次郎の主張と視点はきわめて新鮮でユニークであった。梅棹忠夫は日本の近代の学問は、その殆んどが翻訳した輸入の学問であるのに対し、考現学は日本にまれな国産の学問であると高く評価している。(今和次郎集第一巻『考現学』解説)
 もっとも、風俗の考察が日本になかったわけではない。文化年間、大阪に生まれた喜田川守貞は『守貞謾稿―近世風俗志』をあらわし、江戸・京都・大阪の生活風俗を記録し比較している。今和次郎は「分析的な科学的な色彩はみられない」(考現学とは何か)としながらも、考現学の志向との類似に注目している。その後、今和次郎の「考現学」は生活学会や現代風俗研究会に、また路上観察学にうけつがれている。

西山先生の「すまい考今学
 西山先生と今和次郎は直接に交渉はなかったようだ。今和次郎著作集の『生活学』の解説をした西山先生は名前は知っているし、そのしごとは面白いと思っていたが、一度しか会っていないとしながら、「私の住宅研究を今先生と同じ生活学派だと批評し、私を今先生の弟子だろうと言っている人がいることを耳にした。そうかも知れない」と記している。たしかに、西山先生には今和次郎と共通する生活風俗を観察する視点があった。西山先生は『すまい考今学・現代日本住宅史』のまえがきに「かって今和次郎のグループが、銀座で婦人の服装を調査し、現代を観察する学問という意味で、これを「モデルノロヂオ」と名づけたことがある。「アーキオロヂー」(考古学)に対置するとすれば、「考今学」となるのだが、主宰者である今の姓と重なるので、誤解をさけるため、「現代」の頭をとって「考現学」=モデルノロヂオと造語した」と記されている。そうかもしれない。今和次郎自身、「私たちは仮に私たちの仕事を考現学ないし考今学と称し、Modernologioという一般名を付して紹介したいと思っているのである」(考現学とは何か)といっている。西山先生は、そのときボツになった「考今学」を今になってとりあげようとするのは、考古学も最近の邪馬台国論争に見るように、ただ土器を発掘調査するだけの学問ではないことが多くの人に理解されはじめているように、考今学も現在の事象を断片的に集めるのではなく、トータルな「今」を考えようとする学問として打ち出したいと思ったからで、「すまい考今学」は「すまいの今」をトータルに考えると主張しておられる。
 『すまい考今学』は日本の住宅の全体像を明らかにするため、前著『日本のすまい』が住宅の型別の解明をめざしたのに対し、社会的背景を考察し、現代住生活の源流として日本の前近代の住生活の展開を概観し、近代住生活の変化を明らかにし、その全体像の把握を試みられた。そこには、住生活の展開を鋭い観察・調査によって明らかにし、その全体的な流れを明らかにし、現状の把握、将来の展望が明確に示されている。
 たしかに、西山先生のしごとは、今和次郎の考現学と視角を共有しつつ、その観察を組織的にすすめ、生活空間の調査と考察、その分析を通じて住生活の保全・再生をめざし、計画的展望を示し、考現学を単なる風俗の観察から解き放ち、いっそう精緻化し、計画を通じて将来像を明らかにしたものといえよう。

考現学・保存修景計画
 ところで、滋賀県立大学人間文化学部の開設に参加した時、この考現学が私に勇気をあたえてくれた。人間文化学部は地域文化学科と生活文化学科とから成る。身近な生活環境としての地域に注目し、しだいに視点を高くし広い地域について観察し、比較して考察するのを地域文化の視座とした。一方、生活文化では考現学をキーワードとすることにした。まず、考古学が限定された地区を調査し、その発掘による遺構・遺物から過去の生活文化とその変化を復原し研究する姿勢にあらためて注目すべきだと考えた。考古学が過去の生活の変化を考察しているのに対し、私たちの生活は急激に変化しているにもかかわらず、余りにもこの変化に無関心で、安易にその変化に身をゆだねているのではないか。そこで、私たちは現在の生活の変化に注目し、その現況を的確に観察し、克明に記録する手法を開発し、その変化の相を明らかにし、この変化が人間の生活にふさわしいかどうか深い省察の上に、あるべき人間の生活を求めたいと考えたのである。
 この考現学の省察の上に、保存修景計画を現代の生活空間の保全と再生をめざしたいと考え、大学院人間文化学研究科には考現学・保存修景論部門を設けている。この保存修景計画にも西山先生への思い出がある。いつの頃か、教室で将来構想を検討する機会があった。計画系でもいくつかの提案がだされた。その中に、歴史環境保存計画を提案したところ、西山研の助教授であった絹谷さんから「これはまずい。環境は教室では環境工学に限られているのでさけた方がよい」といわれ、困りはててしまった。その時、西山先生がいっしょに考えようといわれ、西山先生のもとであれこれと考え、保存修景計画の名がうまれた。
 今も、西山先生が三高の水上部(ボート部)歌の一節をとった漫画小説『あゝ楼台の花に酔う』に、その青春をえがかれた琵琶湖畔で、先生の思い出をしのびつつ、考現学・保存修景計画に深い思いをよせている。


建築アーカイブの重要性
加藤雅久(居住技術研究所)
 11月20日より来年1月20日まで、江戸東京博物館において「東京建築展 住まいの軌跡・都市の奇跡」が開催中です。ここでは明治から現代までの東京の住まいと都市の変遷を、近未来の展望を含めて展示しています。私は企画段階から参加させていただく機会を得、特に戦後復興のコーナーでは「壕舎・応急住宅・汽車住宅」の模型再現を行いました。これに際して、東京都住宅局が向島区(現墨田区)寺島町に建設した、国鉄客車を改装した汽車住宅の資料を探すため、9月に文庫を初めて訪問しました。実は都内で図面を発見できなかったので、まさか関西にはないだろうからせめて傍証が得られれば、と思っていました。ところが「日本のすまい」執筆用ファイルを捲ったところ、原図が当時の関係者の手紙と共に出てきたのです。これには大変驚きましたが、なるほど、「住宅」1952年10月号の記事も「日本のすまい」もこの図面をもとに書かれたのだと判りました。早速、この図面と元の客車図面とをつき合わせて汽車住宅図面をCADで復元しました。今回展示の汽車住宅は、このときの資料発見によって初めて実現したものです。
 このような応急建築物の資料は、西山先生が保管されなければ間違いなく廃棄されていたでしょう。文庫資料の豊富さと重要さを改めて実感しましたが、研究者が人生をかけて収集した資料は、その人が居なくなると散逸・廃棄の道を辿ることが殆どです。残念ながら日本には、事後の受け皿となるシステムは殆どありません。部品などの実物資料の保存はもっと深刻です。私はこの5年間、同潤会アパートから公団住宅に至るまで、近現代の集合住宅を中心に解体調査を行ってきました。近現代は「建築が材料・部品の性能に拠って立つ時代」であり、技術の変化を知るには、解体しながら「もののしくみ」を解き明かすことが重要だからです。材料・部品自体の製法やメーカーも調べます。そして可能であれば、貴重な部品は採取して保管します。幸い、集合住宅の部品は都市基盤整備公団の集合住宅歴史館に保管されており、各時代の建具や金物などが継続収集され、世界的にも例の無い、集合住宅の技術史を俯瞰できる施設になっています。しかしこのような施設は日本には殆ど無く、博物館の多くは、建築部品というだけで、その大きさから収蔵を躊躇してきました。そしてまた、日本の博物館の収蔵品カテゴリには、未だ建築に関する共通の分類法が存在しないという恐るべき事実もあります。
 資料保管の重要性と緊急性を思い知らされた私は、ここ数年、日本建築学会で建築部品・構法のアーカイブを目指す活動に参加しています。一つは「建築部品・構法の変遷ワーキンググループ」で、資料種の体系化と分類の指針作りを進めています。もう一つは「近代建築資料総合調査特別研究委員会」で、国立科学博物館の「産業技術史資料の評価・保存・公開等に関する調査研究」とリンクしながら、企業等に眠る資料の所在調査を進めています。先人に敬意を払い、研究者の努力を水泡に帰さぬためにも、建築アーカイブが可及的速やかに実現することを願って止みません。
 アーカイブにはもう一つ、保存の問題があります。昨年から住宅総合研究財団で古書収集を担当していますが、ここの図書室の利点は全て開架であることです。明治期の希少文献も手にとって見られますが、同時に「痛まない使い方」も考えなくてはなりません。古い紙は破れ易く、例えば折り畳んだ図面を開くには、両手の動きに微妙な力加減とタイミングが必要です。しかし取り扱いに関する教科書はなく、私自身も経験で体得してきました。より多くの人に、より永く利用してもらうために、これからは資料閲覧法の確立も必要だと思います。

<NPO西山記念文庫>
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