ここでは一部を掲載しています。
日本のすまいの未来を考える
すまい・まちづくりフォーラム関西21
第2回フォーラム 2002年6月22日(土)
住宅学者西山夘三が見つめてきたもの
講師:松本 滋(姫路工業大学教授)
西山夘三の農家研究―その視点と足跡
講師:中島煕八郎(熊本県立大学教授)
第3回フォーラム 2002年7月13日(土)
西山夘三の住まい学から読み解くハウジングの近未来像
講師:住田昌二(大阪市立大学名誉教授)
20世紀から21世紀へ―住まい学の進化と発展の方向
講師:広原盛明(西山文庫理事長、龍谷大学教授)

住宅学者西山夘三が見つめてきたもの
講師:松本 滋(姫路工業大学教授)
西山先生は、日本のすまいをみる視点として、多様性と地域性、歴史性、階層性をあげています。戦前はすまいの多くは農家だったわけですが、その後の変遷は大きく6つの時代に分けられます。それぞれ別表に沿ってスライドで紹介します。
@戦前、1930年代
都市住宅はほとんど貸家で、京町屋、大阪の前台所型、名古屋の切りニワ型の長屋など、庶民の知恵の中から、都市で実情にみあった一定の型がつくられていきました。植民地となっていた朝鮮から労働力が集められたり、産業都市の周辺に不良住宅地域が形成されました。住宅の近代化も進んでいきました。大阪の箕面の赤いレンガに白い壁の文化住宅の博覧会、関東大震災後の住宅復興をになった同潤会の鉄筋コンクリートのアパートなどモダンな住宅も生まれました。
A戦中
1937年に日中戦争がはじまる。大東和共栄圏の盟主たる国民にふさわしい国民住宅が大きなテーマになります。また、軍需工場で働く労働者の国民住宅を供給する住宅営団も生まれます。実際には乾式パネル工法のモデル住宅など国民のすまいの切り詰めが進みます。それに対して、西山は何とか抵抗しようとしました。従来の中廊下式に代わって有名な食寝分離論を主張しました。
B戦後の住宅難1945〜50年
戦争が終わった時には、ほとんどの都市が空襲でやられて、全国で5分の1ぐらいの住宅が失われ、絶対的な住宅難時代となりました。神戸の三宮や大阪の天王寺公園復興モデル住宅、神戸の五位ノ池の復興市営住宅なども建てられたが、資材も金も人もないなかで住宅でないモノを住宅に転用しようというのが転用住宅です。京都の市電住宅、大阪や岐阜のバス住宅、列車住宅もありました。絶対的住宅難の都会から、開拓地に放りだされた人もいます。
日本国民が人間以下の苦しい生活を強いられている時にデペンデントハウスという米軍の家族のための住宅を全国に2万戸つくれというのが、アメリカ占領軍の命令でした。
C住宅復興と成長への助走
1952年に公営住宅法が生まれ、広島の原爆の焼け跡にも建てられました。また1950年代に最初に復興を遂げる石炭産業のために炭鉱住宅が最優先されました。中でも超高密な軍艦島住宅は炭鉱の職階、階層によって非常にきれいに住み分けられていました。日本独特の社宅制度も発達しますが、ILOからの批判がありました。
D高度経済成長の光と影、1970年代の中ごろ
高度経済成長期以降は持家政策がとられ、とにかく持家を持たなければ損だという時代になりました。しかし、ひどい建売住宅もありました。プレハブも、日本独自のシステムとして発展しました。住宅公団などによる大規模な郊外住宅地あるいはニュータウン、都市型持ち家であるマンションもこの時期どんどん増えました。
Eそれ以降
現在、持ち家の規模はヨーロッパの水準に追いついていますが、住宅不足という状態とは違う意味、ホームレス問題などもあります。20世紀の課題に取り組んできた西山夘三その人から学んで、21世紀の今日の課題に取り組んでいきたいと考えます。
西山夘三の農家研究―その視点と足跡
講師:中島煕八郎(熊本県立大学教授)
私も同じですが、西山先生は大阪で生まれ育ったシティボーイです。その先生が本格的に農村研究をされたのは1950年からの10年間ぐらいです。そのあと突如として農村研究から引き上げられます。
さて、98年の最新の住宅統計調査では、農林併用住宅が12.4万戸に減っているというデータ−が出ています。日本昔話にででくるようなイメージのいわゆる「農家」は、それほどに減ってしまっています。とはいえ農業関係の統計では農家戸数は344万戸という数字になっています。要するに、農業をやっている家でもほとんどが、都市型の専用住宅に住むようになっているのです。
しかし、今から100年ぐらい前はほとんど農家住宅だったといってもいいでしょう。その意味で、農家住宅は日本の住宅の原型の一つであったのです。まず、そこに先生は注目しています。
私は西山先生の農家研究の視点を次のように整理しました。その1つは「日本人全体のすまいの構造の把握」という視点です。「日本のすまいT序」では次ぎのように明確に述べられています。「そのさまざまなすまいは、日本人の生活様式を規定するものとして互いにつながっている。・・日本人全体のすまいを本当によくしてゆくためにも、(その把握は)欠かすことのできない前提である。」
第2は住宅の階層的把握の視点です。最近の農家・武家住宅を研究する 人たちの中に「西山夘三の農家研究は階層性ばかりに注目している」という批判があります。私は階層性というものは、日本の様々な住宅の中に現実に内在しているものだと思います。そうであればこそ、この階層性の把握ぬきに住宅問題は解決できないんです。先生が農村研究の中で階層論を展開されたのは50年代の、主に、NAUや農村建築研究会の一員あるいはリーダーとして活躍された時代です。多くの調査研究が階層論的に極めて旺盛に展開されています。
その中身の詳しいことについては、参考文献に書いています。農村建築研究会の農村建築という雑誌がありますけれども、その中に、下層になればなるほど、貧乏人になればなるほど、条件が悪いところに条件の悪い住宅に住まざるを得ないという視点が示されています。言ってみれば住宅問題の一番の被害者は最下層の人たちであるということを具体的に明らかにするという視点です。
研究者の視点の3番目として、住宅問題は誰がどのように解決していくのかということに、目をむけているということがあります。農村建築研究会においても現場の生活改良普及員さん、あるいは役場の人たちとともに、農村に入って生活を改善しながら、住宅の改善を図っていこうという運動に積極的に参加して
いくわけです。農民自らの要求でも生活の改善でもないのに、形だけ「改善」してしまうということがある。これは本当に生活の改善なのか、住宅の改善なのかということを「新しい家相」という言葉を使って
明らかにしています。
ところで西山先生は1930年ころから農村に接するようになっていくんですけれども、1950年ぐらいまでは「農家っていうのは不合理の塊、もうどうしようもない、絶対に改善を要する対象」と批判的にみていました。戦後初期、いろんな場面で日本人は生活要求の発展を抑圧されてきた人間なんだということを強調しているわけです。そして、その最も典型的なのが農家だと考えていたことがうかがえます。
しかし、他方では、住宅改善実績や新築農家にも注目しています。例えば北海道は寒いですから、今まで300年の伝統のあった日本 の民家の論理では住めない。ですから、北海道ではブロック住宅から始まり、ホール型、イス座化などが進みました。レンガ造の住宅も建っています。今でいう高気密・高断熱の住宅がつくられていることにも注目しています。このように、農家居住者の中の住宅改善エネルギーとその発展、そして成果に期待し、着目しているのです。
以上、西山先生は農家研究を@「日本人全体のすまいの構造」の中での農家、A住宅の階層的把握、B住宅・生活改善要求の発展法則という3つの視点から進めたということを整理し
ました。
さらに加えて調査、視察時の「技術メモ」など技術者の視点や、描写者・記録者としての視点も忘れてはならないと思います。先生は社会的な調査をする場合でも、必ず、住宅、その内部、生活の仕方、あるいはその経営の仕方を、全部調べています。ここには、一種の対象にたいする「愛情」すら感じさせるものがあります。
さて、農村にいる人達は否が応でも、農家の長男なら農家を継がなければならなかったわけです。今、そういう人たちが農村や農家を評価し、見方が変わり始めています。さらに、農民が農家を考えるだけではなく、都会の人間が農
村を考え、農家のあり方を考えるよになってきています。西山先生は、農家研究を離れて、約10年後の1967年に、農村研究の将来についての一文を記しています。その中身がまさに、上述の「見直しの視点」を提起するものであったことを最後に付け加えておきます。
西山夘三の住まい学から読み解くハウジングの近未来像
講師:住田昌二(大阪市立大学名誉教授)
西山先生の住宅研究は住様式論と住宅計画論が大きなテーマです。住様式論というのは住まい方の研究です。住宅計画論は住宅供給計画、供給システム、簡単にはハウジングシステムです。
先生は1933年に卒業、戦中期ずっと住宅の研究をされ、45年くらいまでの研究と実践により西山住宅論の骨格ができあがっています。西山住宅学のキーワードは住様式と住宅階層の二つです。住様式とは住宅という入れ物と人間の住まい方で一定の対応関係があると考えられました。先生は出身の大阪で町家を見てこられ、階層により住宅の選択の傾向が異なることを発見しました。住宅階層はこの計画論の基礎的概念です。庶民住宅の研究の中で食寝分離が大事だと主張されます。戦後に2寝室とDKよりなる間取りが考案されて、現在の公営・公団住宅の基本に定着し、一般住宅、農村住宅にも広まりました。
しかし、モダンリビング、LDKが高度成長期に広がり、この時期には食寝分離の考え方に基づく間取りは限界にきており、住意識、住空間、住生活、階層を対応させ、格式型、接客型、作業型、公私室型、労働型、食寝型、ねぐら型とこういう住空間の型を想定されました。それが先生が住様式論の研究について到達された段階だと思います。
現在の住宅を見ると、北海道の住まいは完全なLDK型です。各地には続き間型が非常に多い地域、在来型の住宅とおおまかにはそういう構図です。いずれもLDKが先行し、あとから続き間型の住宅がくっついていっています。住宅の面積が狭いと茶の間しかとれない。問題は80から120uくらいをどう考えるかというところに、今や住宅の間取りの焦点が移っています。「畳がありふすまによって仕切られ、床の間という部屋、縁側がある」、これは室町からずっと今日まで続いている住宅です。この住宅がまさに消えなんとしている時に生きているのが我々だと思っています。
住宅計画論というのはハウジング論と言った方がいいと思います。資本主義経済の欠陥を補うために介入するという公的手段が住宅政策でなければならない。量的住宅難が大正末期から昭和の15年戦争の時代、戦後の高度成長期にまでずっと続きます。41年から住宅営団ができ、住宅の営団規格というものがつくられます。しかし、実際に戦争が深まり、物資不足の中、住宅問題にしわ寄せが出て住宅の規格がだんだんきりつめられます。営団は終戦と同時に実質的機能をなくし、55年に住宅公団、83年に住宅都市整備公団、今日の都市基盤整備公団に変わっていきます。
ハウジング論の西山先生の骨子は「住宅は本来公共財だ」ということです。それを中高層住宅で再現したのが、マスハウジングという考え方です。しかし、それはいきづまり、オイルショック以降、住宅は量的に充足し、あらたに質の問題と需要の多様化の問題になっています。供給サイドからいうと、順応型住宅・可変型住宅・2段階供給システムとして展開しています。ユーザーサイド側からは、コーポラティブ住宅、コレクティブの住宅の取り組みがでてきています。
20世紀から21世紀へ―住まい学の進化と発展の方向
講師:広原盛明(西山文庫理事長、龍谷大学教授)
20世紀の前半期は戦争の時代です。後半期は国内で様々な地域開発があり都市を拡大し、国内成長をした時代です。西山先生といえども歴史の影響を強く受けられ、そこからなかなか出られなかったと思います。
西山計画学をどう評価するのか。それは近代生産システムにみあった計画案であったと思います。住宅の大量生産の理論および生産の現場に身をおいて、それを実践したという今日の近代的住宅生産のパイオニアです。
都市について西山先生がどんなことを考えてこられたかということをあらわすのが1964年の京都計画です。その中核的な部分にイエポリスという積層住宅、高層住宅がずらっと都心部に並ぶような計画です。当時は京都タワーが建設され、それに反対という市民運動が起こりました。日本の都市計画論争のもっとも大きな問題だったと思います。西山先生は、京都タワーに反対しておられたのです。なぜ反対された西山先生から京都計画が出てきたのかは不思議であり、矛盾が感じられます。非常に大きな流れの中でいろんなことを考えておられたのではないか、と今は思います。
成長の制約、成長の限界があらわになってきた時代というのは、西山先生が生きてきた時代には考えもされなかったことです。成長期とは異なり、工場はどんどん中国にいってしまうとかなくなってしまう、地域の開発の源泉であった工場や住宅団地というものがほとんどなりたたなくなってきているということがあります。
まさに成長型の都市問題、それに対応するような近代都市計画を大きくこえたところで起こっている問題ですから、成熟期あるいは衰退期の都市問題に対して、いかなるまちづくりの理論を構築するのかが鋭く問われています。一昔前に欧米先進諸国で都市計画をやっているのが誰なのかを調べた調査があったのですが、非常に驚きました。というのは都市計画に関わっているコンサルタントの専門が、心理学だとか社会学、経済学で完全にソフトな分野だったわけです。21世紀はソフトな都市問題に大きく転換していくんじゃないか、そういう時に今までの近代都市計画をベースにしてやってきたものを一体どういうふうに転換すればいいのかが大きく問われているのだと思います。レジメでは21世紀型現代都市計画・まちづくりの基本方向として7点に整理してみました。都市計画の基調ですが、競争して大きく成長していくという時代から、むしろお互いに機能分担をして住み分けをして、どう成熟をしていくのかというところに変わらざるをえないと思います。失業対策、職業訓練、また家族の解体の問題、子供の教育にどうサポートするのかなどソフトな都市問題が日本でもメインアプローチになってきていると思われます。さらに具体的に何を目指して都市をつくっていくのかという問題があります。今東京では超高層のビルラッシュですが、近い将来ビルが余るそうです。従来型の成長型プロジェクトは限界にきていると思います。
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