レター18号(2002.12.01)

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第4号(1999.06)
第3号 (1999.03)
第2号(1998.12)
創刊号(1998.09)

 

ここでは一部を掲載しています。

今も新鮮な餞別の言葉
柳沢 厚((株)C-まち計画室主宰) 

中京圏のマンション事情雑感
鈴木博志(名城大学理工学部教授)

今も新鮮な餞別の言葉
柳沢 厚((株)C-まち計画室主宰)

 私は西山先生の一年間だけ(修士2年目)の教え子です。その上、修士論文の実質的な指導教官は当時大阪市立大学の助教授をされていた梶浦恒夫さんにお願いしたので、西山先生には時折の調査経過を報告して厳しい指摘を受けるといったお付合いでした。更に、修士修了の直前、12月頃からは「日大旅団」の来訪を契機とした大紛争の激化の中で、学内が騒然としたまま慌しく京大を後にすることとなり、いわば不肖の弟子の最右翼かもしれません。

餞別の言葉
 そんなやや希薄なお付合いでしたが、私が建設省に就職が決まり京都を去る折の送別会で、先生からひとつの言葉を餞別代りに頂戴しました。東山の山腹にある寺の精進料理を食べながらだったと思います。正確な表現ではありませんが、趣旨としては次のようなものです。“仕事につくと組織が命ずるままに悪いことをしてしまうことがあるが、その責任は組織にあるだけではなく、実際に実行した個人にもあるということを忘れてはいけない。上司の指示だといっても本人の責任は免れない。”当時社会問題化していた熊本の水俣病や富山のイタイイタイ病の原因が、企業の無責任な廃液の垂れ流しにあることに関連した発言であったと思います。この餞別は、霞ヶ関の組織人となった私の行動に、陰に陽に影響を与えるものとなりました。もちろん、頭にこびりついて離れないという類のものではありません。時折、ふっと浮かんできてチクリと胸を指すという感じです。
 このさりげない言葉は、実は、組織と個人の関係についての普遍性なテーマに、明快な指針を与えるものです。個人が責任を問われなければ組織の逸脱を内部から是正する力は出てこないという観点からすれば、この指摘は当然のことです。しかし一方で、その責任を全うすることが、如何に行い難いことかということも考えなければなりません。かのロッキード事件において、逮捕され刑事被告となった丸紅の重役たちが、大久保利通の血を引く大久保被告を除いて、徹底して丸紅擁護の姿勢を貫いたことは、事実が露見した後でさえも組織に対立することが容易ではないことを示しました。霞ヶ関の内部でもカラ出張(出張したことにして公金をプールし、残業時の夜食や深夜帰宅のタクシー代に充てるやり方)や官官接待(自治体職員による国の担当官の接待、あるいは各省庁の役人による旧大蔵省主計局職員の接待など)が問題となりました。外務省がやったホテルやハイヤー会社からのキックバックというのは露骨で目立ちましたが、「自分の懐に入れているのではない=公金詐取とは異なる」という意識においては共通するものがありました。
 近年では、雪印食品や日本ハムの牛肉がらみの不正事件が明るみに出て、それに追い討ちをかけるように食品表示の不実記載問題が次々と表面化し、“ほとんどの企業が似たようなことをやっているのではないか”という疑いを感じさせています。更に今度は、電力会社の原発不具合隠し事件が出てきました。

内部告発の困難性
 こうした状況は、組織の論理によって不正が包み込まれる(もっと悪いのは「不正」という認識が希薄になっている)ことが如何に広く行われているかを示しています。一連の不正の発覚はほとんどが内部告発によるわけですが、表面化後の告発者の立場は、当該組織が対外的に反省の態度を表明した場合においても、組織内において文字どおり「針のムシロ」に座る心境に違いありません。ですから、表面化したものは氷山の一角と見て、やはり間違いないと思います。では、このような「構造的な腐敗」はどうすれば少なくすることが出来るのでしょうか。結局、社会的な強い監視を背景として組織内の自浄作用の作動を促す以外にありません。それなら、その自浄作用はどうすれば作動するのでしょうか。組織構成員ひとり一人の自覚に待たなければならない→個人の自覚を高めるには組織の腐敗的構造を打破しなければならない、となって行くと原因と結果の無限ループに入ってしまいます。
 このループを断切る最終的な力は、やはり西山先生が言われた「あなた自身も責任を免れない」という自覚だと思います。先ず、どのような止むに止まれぬ事情があろうとも、その陰謀に加担したものは末端に至るまでその責任は免れないという原則を、社会的に確立し学校教育を通して浸透させることでしょう。ただしこの意味は、末端の人間まで全て刑事責任を問えということではありません。刑事責任の有無に関わらず、その行為は恥ずべきものであるという評価を社会の常識として確立するということです。そんなことは当たり前ではないかと思われるかもしれませんが、現実には決してそうではありません。世の多くの男達(すなわち組織人)は、為された行為の内容(絶対的な質)よりも為され方(相対的関係性)に軸足を置いた評価をしがちです。  会社の不正を告発し国費の詐取を防止できたという事実よりも、組織の内部からの是正を回避して(一種の裏切り行為として)問題を外部に持ち出したという事実の方を、より重く見る傾向があります。不正に加担ないし黙認した連中は、組織内でシレッとしているにも拘らず、内部告発者は、組織内では「針のむしろ」に座らされ、組織外からも積極評価を受けられる可能性は少なく、潜在的にはむしろ「油断のならない奴」として見られています。場合によっては、組織内の派閥争いの中で踊らされた「状況の見えない奴」という見方をされるかも知れません。したがって、その組織を出て再就職をする場合にも、マイナス評価を受ける可能性が高くなります。

多様な価値観を懐深く受入れること
 ここ十数年、新人類や宇宙人が活躍して価値観が多様化したといわれていますが、こと職場組織で見る限り「組織が個人に優越する思想」は厳然と維持されています。組織の消長が生活収入の増減に直結する以上、組織の維持・発展のために個人が「私」を一定程度抑制することは避けられません。しかし、構成員の価値観が組織の利益と一致しないことも許容されるというか、次元の違う価値観によって行動することもあり得るということを、少なくとも当該組織の外では受入れられる土壌が必要です。先のワールドカップで、韓国のアン・ジョンファンが決勝ゴールを決めてイタリアを破った時、アンのイタリア所属チームの監督が「誰のおかげで稼いでいるのか」と激怒したと伝えられましたが、韓国人でなくともその監督にブーイングをしました。この事例はあまり適切ではありませんでしたが、価値観の多様化が「いろいろな考え方もあるさ」という“物分かりのいい人”による表面的鷹揚さで受入れられるだけでなく、生活を脅かすかもしれない局面においても尊重される文化的厚みが必要ではないでしょうか。

 西山先生の言葉を思い出しつつ、この頃の風潮に思いを馳せた次第です。それにつけても、スーパーマーケットの販売品リコールに付込んで、その店で購入したものでない品物を返品しようとした個人が出てくるに及んでは、この国の倫理観はどこに行ってしまったのかと暗澹とさせられる思いです。どこから手を付ければよいのか、零細事務所の業務に追われながら考え続けていきたいと思います。


中京圏のマンション事情雑感
鈴木博志(名城大学理工学部教授)

 福井大学の学生のころ、故玉置先生の研究室で住宅問題を勉強し始めてから30年近くになります。玉置先生の思い出は多々ありますが、私の研究計画に対して「その研究は何の役に立つのか」とたずねられ、今でもトラウマのようにその言葉が心に深く刻み込まれています。何か新しいテーマで研究を始めるときは、玉置先生の言葉が刷り込み現象のごとく思い出されます。 
 名古屋の名城大学に移ってからも、住宅問題を研究テーマに取り組んできました。ここ5〜6年ほど前からは、マンションの管理問題に取り組んでいます。これは、管理問題に興味があったからではなく、大都市でありながらも管理問題を研究する者が周りに一人もいなかったからです。マンションを調査してみると、なかなか面白い現象も浮かび上がりました。中京圏は、小規模マンションが全国的にみてきわめて高い地域であることです。なぜ小規模マンションが多いのかが問題ですが、いまそれを追跡しているところです。恐らく、東京、大阪と違ってマンションの需要圧力が低く(住宅市場圏が狭い)、大規模マンションを分譲しても売れ残りが生じてしまうからだと想像しています。そのため、リスクの低い小規模マンションの分譲が多くなり、その分譲を中心的に担ってきたのが地元の零細・小規模事業主というわけです。当然のことながらそうした零細事業主は、マンションの管理問題には無関心であり、このあたりに中京圏のマンション問題の特殊性があるようです。今後もこの研究は、しばらく続けていく予定です。

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