ここでは一部を掲載しています。
沖縄での夏の学校 台風の中で大成功!
中林浩(平安女学院教授・夏の学校実行委員長)
不況下でも仕事の途切れない設計事務所
内山 進(内山進設計室・建築家)
沖縄での夏の学校 台風の中で大成功!
中林浩(平安女学院教授・夏の学校実行委員長)
西山文庫主催の第5回夏の学校は9月18〜20日、沖縄在住の専門家の協力を得て、100名以上の参加で開催されました。全国15大学、DC3年から1回生までの幅広い参加がありました。
日本でも特別の風土と歴史をもつ那覇のまち・住宅を対象として、建築・住宅・都市を専攻する学生と研究者が、充実した「夏の学校教科書」と準備をされたプログラムにより、講義とフィールドワークから集中的に学ぶことができました。
<1日目 9月18日>
台風が接近していましたが、飛行機便には支障なく沖縄不二ホテルに集合し、いきなり「沖縄のまるごとウォッチング」。バス2台に乗り込み、那覇市首里城公園と首里金城町の石畳道、那覇独特の聖域である御嶽、アメリカ空軍基地嘉手納飛行場周辺を見て回りました。備瀬ヒロ子さんと村上有慶氏の案内で奥深い沖縄の事情に短時間でふれることができ、沖縄が始めての学生も入門編をスムーズに完了。
夜は夕食を兼ねた交流会が開かれ、広原盛明理事長のあいさつがありました。そのあと、班構成は大学や学年を均衡にして組んでいましたので、知らないもの同士の席でしたが、恒例の松本さん(運営委員)の班対抗沖縄クイズをするなかで、はじめの緊張感がすっかりうち解けました。圧巻は創作太鼓衆「美らさ」による演舞でした。小学校低学年から青年までの若さあふれるアマチュアのグループですが、伝統的な踊りに創作性を加味したもので、華麗さ・迫力に圧倒されました。しまいには学生参加者も踊りの輪に入っていました。
<2日目 9月19日>
午前中は「沖縄のすまいとまちづくり概論」の講義。全体の企画を担当していただいた清水肇さんの進行で始まりました。第一講義は備瀬知伸氏から「那覇の町について―戦後復興の過程から現代のまちづくりまで」、第二講義は伊志嶺敏子氏から「沖縄のすまいづくりとコミュニティ―公営住宅団地の試み」、コメンテータは池田孝之さんから。楽しくやさしい語りの那覇に関する基礎知識・最新情報に聞き入りました。
午後からはフィールド調査をしました。台風は那覇にかなり接近している様子のなかのスタートでした。窯業を営む中心部の伝統的な町並み那覇市壺屋地区、密集市街地の樋川地区、福祉施設との複合建築となっている那覇市営安謝団地の3カ所です。壺屋地区では前原信達さん、安謝団地では清水肇さんの案内がありました。沖縄独特でかつ互いに違ったタイプの居住地を実際に見て、那覇のまちへの理解は深まったと思います。
携帯電話から台風情報をみると、どうも那覇の真上を通過中のよう。しかし、雨の影響が少なかったので、各班とも3地区をとどこおりなく見学できました。
夕食を班単位でとったあと、夜はフィールド調査のまとめです。班ごとに画用紙や模造紙に調査結果を表現して、発表作品に仕上げます。名城大学の学生は写真を担当してくれましたが、ここでは撮ってきた写真をプリントアウトするのに大活躍。しかし、班でのディスカッションに十分に入れなかったようで、次年度への課題を残しました。
例年、徹夜する班が続出するので、12時までの時間制限を設けていました。しかし、終了を1時に延長しても作業が終わらず、さらにそれを超えてしまいました。熱が入りそのまま飲み明かしたところもあって、交流の場になったようです。
<3日目 9月20日>
フィールド調査まとめの発表会。各班工夫された発表、寸劇風にまとめるなどたのしめました。清水さんをはじめ、現地でのスタッフに恵まれ、大成功だったと思います。
多くの参加者は、修了後さらに2日間沖縄に滞在することになっていました。台風は通りすぎましたが、海への影響は長く、離島に渡る予定の人は急遽本島で宿を探すことになりました。
ところで、都市計画史を勉強した人なら「近代都市計画の父」として、だれでも知っているスコットランドの都市計画家、パトリック・ゲデスは、もともと植物学者でした。しかし、眼病を患い顕微鏡をのぞく生活を断念します。その後、1888〜1919年のあいだ、ダンディー大学で動物学の教鞭をとりましたが、1学期だけの契約だったので、残りの期間を執筆と旅行にあてました。次第に都市問題への興味が増していき、夏期には都市計画プロジェクトなどを交流するイベントをたびたび開催します。E・S・モリスによると「夏の学校の先駆者」(British
Town Planning and Urban Design 1997, Longman)だということです。
わたしたちが学んでいる都市計画学は、夏の学校と切っても切れない関係といえます。
夏の学校は2004年度も開催します。どの地域でどのようなテーマでするか、今年度の総括をふまえて計画を練りたいと考えています。
(まとめ:中林浩)っていないので遠出が少なくなって団地の中で菜園をしたり、パーティをしたりといった団地の中での楽しみが増えるということです。五つ目はTDM(Transportation
Demand Management)、つまり交通需要そのものを抑制しようということです。その中心は自動車交通の削減です。これには中世からの町並みを持つ都市にとっては車の進入から歴史的市街地を守るという大きな意味もあります。それから、需要があるので公共交通や自転車や徒歩空間の整備が進むことです。
また、カーフリーハウジングの大きな目的のひとつは環境に負担の少ない暮らしをしようということですからエコロジカルな住宅づくりと結びつけたエコハウジングとなっています。カーフリー団地に住む人は、環境に対する意識の高い人が多いのです。もうひとつは、カーフリーハウジングはほとんど新築ですが、その開発用地は新規開発ではなくて、ブラウンフィールド(再開発)が中心で、特に東西冷戦が終わったこともあり、軍の基地の跡地が多くみられます。
不況下でも仕事の途切れない設計事務所
内山 進(内山進設計室・建築家)
“西山研の”設計事務所
私は一応西山研究室出身の落ちこぼれですが、志は一貫していました。問題意識は、「現代における日本のすまい」とは何か、それをどうデザインするのか、の一点に集約されます。
西山先生のそれらの実証的研究はなんだったのか。「現代における」をもたらした「過去における」とは何か、「日本の」とはどういうことか、「すまい」とは何か。それを空間として実現するにはどうすべきか。生活の場におけるデザインとは何か。それらに派生する問題は当然ながら膨大ですが、そこいらをひとつひとつ詰めないと実践(デザイン)という段階に進めない人間なので、設計という仕事に入るまでに大変長い時間がかかりました。実際に建築設計の仕事を始めたのは30代後半からでした。
理論(哲学)のない設計は薄っぺらな模造品です。しかし、理論は実践的に裏付けられなければ「机上の空論」にすぎません。また理論は根底から問い詰められなければ単なる設計のための方便(方法論)以上にはなりえません。というわけで今もデザインしつつ、自分の仮説と格闘しています。
個人事務所はいまどき成り立つか
昨今の建設業界は不況下ますます深刻で、ここなら安心という建設業者はない状態です。設計事務所分野も同様で、私の住んでいる城東区でも電話帳に載っている設計事務所の半分以上はもう存在しない、とメーカーの営業マンが話しているくらいです。
その一方、シックハウス対応などの建築基準法の改定、住宅品質確保促進法などの法改正、ISO9000シリーズの品質マネジメント規格やFM(ファシリティマネジメント)などの設計業務の再編、CPD(継続的職能開発)制度などの設計者技量の再教育などが急速に進行しています。
現代の建築界のキーワードは「顧客満足の確保」と「環境への配慮」の2つであり、「建物の品質」はそれによって決まり、そのためには設計業務の「情報革命」は不可欠であり、すなわち、CADはいうもおろか、EDI(電子データ変換システム)CALS(生産・調達・運用支援統合情報システム)などの情報システムの導入は必須とされています。
そんな時代に個人事務所? ローテク? 資料山積み? そんなところは即退場! というわけです。
いったい「建物の品質」とはなにか
上の基準からみると箸にも棒にもかからないようなわが事務所がなぜ忙しいのか。
そのポイントは「建物の品質」とは何かというところにありそうです。上記の「顧客満足」とは、いかにクレームを減らし、問題点を事前に察知し、事後も問題を生じないように書類の体裁を整えておくか、という点にあるように思えます。いわばアメリカ型の契約(グローバルスタンダード)に準じることでもあります。
またクレームを避けるため、あるいは「環境問題に対応」するため、設計レベルでの作業量は大幅に増えており、それを迅速に処理するためには最新の情報技術なしにはできないことになります。しかし待てよ、と私は思うのです。そうやっても、顧客(生活者、利用者)の生活像(これまでどういう暮らしをしてきて、これからどうすべきなのか)を把握し、かたちにするかという、いわば入口の部分は解決されていないのではないでしょうか。
時々「住宅メーカーから出してもらったプランです」といって建築主に見せられることがあります。しかしデータを駆使しCADできれいに仕上げられたその図面は、失礼ながら実に陳腐でつまらない場合が多いのです。なぜかそれは建築主と打ち合わせた営業マンないしは設計担当者に哲学がなく、創造力が貧困で、建築主の生活像を描けていないからです。そうやって作られた建築は「品質」は確保されているかもしれませんが、生活空間としての「質」はそんなに高いと思えません。
設計は相手の話に耳を傾けることから始まります。じっくり聞いていると建築主の家族像が見えてきます。そこには現代日本の生活の矛盾も反映しているでしょう。部屋を一瞥するだけでもその家族の関係、歴史、性格がかなりわかりますが、対話を通じてそれが裏付けられるわけです。こうしてほしいという直接的要求もさることながら、その底辺にある潜在的な住要求、生活のあるべき未来像みたいなものもひきだすようにします。(最近カウンセリング関連の本を読んでいるとその手法に私の設計法が似ているのでへぇと思いました)そうやって、この家族はこんな生活なんだなぁとわかったら、設計の半分は終わったようなものです。イメージがわいてプランはわりとすいすいと決まります。
もっとも、それからの後半戦が大変です。環境工学上の諸計算からディテールまで、描いては直し描いては直しのくりかえしです。(施主に言われてではなく、自分が納得できなくて)建築設計自体まったくの独学である私は、こういう仕事は慣れれば合理化され楽になるもんだと思っていました。でも経験するほど余計に時間がかかるようになった気がします。
最近も住宅をひとつ作ったのですが、弁護士である施主は後でこんなことを言いました。「建築紛争の事案によくかかわるので、建築図面のことはある程度知っているつもりだった。だから少し打ち合せをして、2〜3週間もすれば図面は上がってくるものだと思っていたが、内山さんからは全然できてこない。サボってるんじゃないか、と疑っていたのだが、3ヶ月後ぐらいにようやくできてきた図面をみてびっくりした。わぁ、こりゃかかるわ、と。そして出来上がって住んでみて、その住みやすさに感動してしまった。」
感激した施主は私を新地の高級サロンに連れて行ってくれました。
なぜ個人事務所か
理由は単純で、家事、育児、をする必要があったからです。育児が一段落した後は地域活動に参加することになりました。言い換えると、家事や育児を経験しないと生活や生活空間を実感しえず、生活空間を設計することができないからです。同様に地域活動とは人々の暮らしを知ることです。あるいはまちづくりの中身を経験することです。自分自身の中の豊かな生活経験を蓄積していないとよい設計はできません。したがってその形態としては個人事務所が適しています。
大半の設計事務所のように「家は寝に帰るだけ」という仕事スタイルは、建築設計という仕事に限っていえば疑問が残ります。
改めて西山研と建築設計を考える
建築設計というのは、一般的には単体を作ることであり、「日本の住空間を考える」という西山研究室的立場から言えば、個人事務所の仕事は「大海の一滴」に等しい行為です。ただしその「一滴」の活かし方にもいろいろあるはずです。私の場合は、設計プロセスを通じて「日本のすまい」を成立させている基礎的なものは何かを再検討していくこと(日本ではこの「基礎的な」というところがあいまいにされる)、と微力ながら考えているわけです。
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