ここでは一部を掲載しています。
今回も大好評・大成功!
第6回夏の学校in長崎終了
夏の学校 校長 松本滋
夏の学校で活性化したゼミ
鮫島和夫(長崎総合科学大学)
NPOアーカイブス・西山文庫にゲストをお迎えして
第3回「シンポジウム 地域資料の保存と活用を考える」準備研究会
三村浩史(初代運営委員長)
今回も大好評・大成功!
第6回夏の学校in長崎終了
夏の学校 校長 松本滋
西山文庫主催の夏の学校は9月14日〜16日、長崎で「エキゾチックタウン長崎の不思議を解き明かす」をテーマに開催され、全国から約50名の学生・院生と約10名の教員が参加しました。参加大学は、長崎総合科学大学、広島国際大学、神戸大学、兵庫県立大学、神戸女子大学、神戸松蔭女学院短期大学、近畿大学、平安女学院大学、福井大学、名城大学、都留文科大学、東洋大学、筑波大学などです。
これまでのソウルや那覇にくらべると地味な企画にみえたのか、「高校の修学旅行で行った」ためか、参加者は大幅に少なくなりました。けれどもその分意欲に満ちた学生が多く参加し、受身に終わらず積極的な取り組み姿勢が見られ、密度の高い学校となりました。そして長崎という町のもつ多面的な魅力も参加学生の好奇心と食欲をかきたてたと思います。その中でも斜面居住地という観光で訪れたのでは知ることのできない長崎の特徴に焦点をあてたプログラム企画も効を奏したといえるでしょう。
もちろん、鮫島先生(長崎総合科学大学)の周到で的確な準備と資料、それを支えた鮫島ゼミの学生諸君の努力があったればこそです。本当にありがとうございました。
今年は台風の当たり年で、昨年の那覇では台風直撃の中で悪戦苦闘したことから今年も心配されましたが、理事長と夏の学校長の人徳のせいか天候に恵まれ、逆に暑さとの闘いになりました。
<プログラム>
■1日目 9月14日(火)
午前中はオプションで、西山夘三『日本のすまい』でもとりあげられた「軍艦島」めぐり。学生たちが生まれるずっと以前の、炭鉱労働者の世界でも有数の超高密居住地であり、産業遺産ですが、青い空青い海の中に忽然と現れたその廃墟の姿は十分衝撃的でした。『日本のすまい』を読んでいた教員にとっても「これが軍艦島か・・・」と絶句する思いでした。
JALシティホテルに集合して開校式と「皿うどん」と「ちゃんぽん」の昼食後、午後からは、100円路面電車をフル活用して班ごとに長崎オリエンテーリング。出島、石橋群、中央商店街、原爆関係、教会・社寺を巡って長崎のさまざまな面を知ることができました。
夜は中華料理と交流会。今年も長崎クイズで長崎の学生も知らない長崎の実相を学びました(?)。
■2日目 9月15日(水)
学生たちはコンビニ朝食などで節約した後、地図ではすぐそこでも坂道に息を切らせて活水学院の教室で鮫島和夫先生の講義を受けました。資料とパワーポイントと独特の鮫島節を駆使して、斜面都市長崎の特性から斜面居住を支えるさまざまな取り組み、鮫島先生が手がけた地域に根ざしたすまいづくりなどたいへん充実したレクチャーでした。
午後は、いよいよ班ごとに斜面地フィールドワークにでかけました。南大浦地区、北大浦地区、十善寺地区の三地区とそれぞれの地区に散在するグラバー邸や中国人居留地をめぐるのですが、鮫島先生には高低差を巧みに組み合わせた最小のエネルギーで回れるルート設定をしていただきました。鮫島ゼミの学生も、長崎に住んでいてもこれまでこんな所は見たこともなかったという斜面地をしっかり予習してガイドしてくれました。「これ何?」「えっ、どうなってんの」「これは道じゃなく階段や」「これは大変」「面白いけどとても住めない」学生たちは感嘆の声をあげながら、「暑い」「のど乾く」「休憩して」とぼやきながら、想像を絶する斜面地独特の空間に触れていきます。三軒のコーポラティブで絶景をものにした鮫島邸でみんな休憩。時間はまたたくまに過ぎ、班ごとに知恵をしぼって夕食へ。
夜は、出島に復元されたオランダ屋敷の一室ヘトル部屋を借りてワークショップ。例年、議論が動き出すのに時間がかかっていましたが、時間が限られていることもあり、夏の学校の経験者を中心に早めに展開していきますが、班によっては議論が広がるばかりでなかなか収束しません。教員も担当班のまわりをウロウロ、思わず口がでる手がでる? ライトアップされた出島もしだいに夜がふけていくのでした。
■3日目 9月16日(木)
最終日、朝食もそこそこにマイクロバスに分乗して鮫島先生のかかわった団地に寄り道して長崎総合科学大学へ。ここも斜面大学。2時の締切まで班ごとにワークショップをまとめ、プレゼンを完成させて、直前までバタバタしていましたが、スムースに大教室に全班集合していよいよ発表会が始まりました。研究発表は全班斜面地がテーマで、いくつかの独特の視点から短時間にしてはよくまとめていました。前日はあれだけ斜面に苦しめられたにもかかわらず、その面白さや魅力に焦点をあてたものが多くみられました。ただ、なぜ人々がこんな斜面に住むことになったのか、人間の居住空間としてこれで良いのか、その根本的な問題にまで切り込んだものはみられませんでした。限られた時間ではやむをえませんが、宿題としてそれぞれの胸に抱えていてもらいたいと感じました。
仲良くなった学生たちは記念写真をとったり、アドレスを交換したりして別れを惜しみながら、お彼岸の九州に散っていき、彼らの学業に夏の学校の成果が少しでも生きるように祈りながら教員たちもそれぞれの日常にもどっていったのでした。
夏の学校で活性化したゼミ
鮫島和夫(長崎総合科学大学)
天候を心配していました。地球温暖化の影響でしょうか、台風が来たり雨が降ったり、不安定な天候が続いていました。夏の学校のメインイベント、野外での作業が中心のワークショップやまち歩きは天気次第です。幸い晴れました。残暑の厳しい暑さの中、階段道をアップダウンしての感想はいかがでしたか。斜面市街地の課題と魅力を、足の裏でしっかり感じ取ってもらえたでしょうか。
住まいやまちづくりを研究・実践する上で、歴史に学ぶ、足の裏で学ぶ、先達に学ぶの「三つの学ぶ」は大切です。歴史的に何故・いつ頃・どのような事情でこのような住まいやまちが成立したのか。問題点や課題を、現地で、生身の人々と言葉交わして、自分の五感を駆使してつかみ取り、解決への方向を理論的・技術的そして感覚的にも明敏にみさだめる。多くの先輩達の成果や努力の結果を真摯に学び、自らの知識・知恵の懐を豊かにする。こうした姿勢での努力の積み重ねが、いつか地域で華咲かせることでしょう。
今回のプログラムは、不十分な準備でしたが、以上のようなことを体験していただくことを意図していました。皆さんの熱意に打たれました。若さに感動しました。夜行バスなど厳しい移動手段での長崎入りにもかかわらず、元気いっぱい街を歩き、貪欲に何かを掴もうとする姿勢に、当初の意図はきっと達成されると確信しました。
ワークショップの様子を見ていて、発表テーマの選択、筋立ての展開、それらを話し合う点でのリード役、作業分担の仕方など、チームの構成メンバーによって自然発生的に各人の役割が生まれ、協働して成果を生み出していく様に改めて感動しました。
夏の学校をお手伝いするに当たって、わがゼミの学生1/3を半ば強制的に参加させました。斜面歩きの予行演習を一度やりました。普段メモすることのない彼らが、要所ごとの説明をメモするのをみて、自覚が学びを促進すると思いました。同じ世代の交流で刺激を受けて、卒業研究への取り組みが活性化しました。夏の学校のおかげと感謝しています。
NPOアーカイブス・西山文庫にゲストをお迎えして
第3回「シンポジウム 地域資料の保存と活用を考える」準備研究会
三村浩史(初代運営委員長)
レター前号で予告しましたとおり10月2日、表記の研究会を当文庫にお招きできました。公文書館や名だたる大学・公益法人とは並ぶべくもないと思いつつ参加してきた研究会でしたが、メンバーの方々に私たちのゆたかな生の資料をお見せし、独自の整理と活用の実際を説明いたしました。その結果、20世紀日本のハウジング・国民生活のアーカイブスとして、ユニークであり第一級だとの評価をいただき大いにはげまされました。
公的図書館や大学図書館に寄贈すると受け入れ内容や活用方法が制約される場合がおおいので、せっかくの貴重な全資料を保存しつつ、ユニークな研究・啓発活動で維持発展させよう。これが私たちの発想です。活動力を維持するためには、魅力あるプロジェクト企画、リアリティに富む情報サービス、より広い会員の参加、中期的経営の見通し、後継者獲得などきびしい課題がありますが、それらへの対応に見通しをつけながら、日本でも今後、期待されるであろうNPO型アーカイブスのモデルを目指したいものです。
<参加者>
準備研究会から(庄谷邦幸、芝村篤樹、横山篤夫、佐賀朝、飯田直樹、鎗山善理子ほか12名)文庫から(安藤元夫、三村浩史、松本滋、中林浩)
文庫の資料が活用される
日本カメラまつり
京都府八木町で第1回「日本カメラまつり」が10月に開催されました。地域にお住まいの西山尚史氏(夘三の三男)は、ギャラリー兼アトリエ(陶芸)で、写真を愛好していた西山夘三が生前に使用したカメラ等といっしょに数年前の展覧会で作成したパネルも展示されました。
会場には、「かつてアシスタントとして父といっしょだったという方(現在プロカメラマンとして活躍)が来られ、『仕事で行く先々でシャッターを切るお姿に影響をうけた。先生のお蔭で今がある』という話があった。」
また、尚史さんご夫婦は「父はいつも椅子に座り物書きに没頭していたが、私の子どもが小さかった頃、節分には近くに住んでいた私の家に必らず鬼の面をかぶって来ました。インターホーンで子ども(孫)の名前を呼び、ドアを開けるとおじいさん鬼がいるので悲壮な顔で豆をまいて退治した。父はそれをたいそう喜び、毎年の行事になっていた」。ユーモアがあって照れ屋だったと振り返っておられました。
日本カメラまつり
京都府八木町で第1回「日本カメラまつり」が10月に開催されました。地域にお住まいの西山尚史氏(夘三の三男)は、ギャラリー兼アトリエ(陶芸)で、写真を愛好していた西山夘三が生前に使用したカメラ等といっしょに数年前の展覧会で作成したパネルも展示されました。
会場には、「かつてアシスタントとして父といっしょだったという方(現在プロカメラマンとして活躍)が来られ、『仕事で行く先々でシャッターを切るお姿に影響をうけた。先生のお蔭で今がある』という話があった。」
また、尚史さんご夫婦は「父はいつも椅子に座り物書きに没頭していたが、私の子どもが小さかった頃、節分には近くに住んでいた私の家に必らず鬼の面をかぶって来ました。インターホーンで子ども(孫)の名前を呼び、ドアを開けるとおじいさん鬼がいるので悲壮な顔で豆をまいて退治した。父はそれをたいそう喜び、毎年の行事になっていた」。ユーモアがあって照れ屋だったと振り返っておられました。
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