ここでは一部を掲載しています。
優れた伝統である「木の文化」の復権可能性を検証し、併せて21世紀の都市・市街地の再生方向を探る
木の文化で都市の再生は可能か
コーディネーター 広原盛明 (NPO西山文庫副理事長・元京都府立大学学長)
T 古民家の再生を通して木の文化のデザイン性を考える
講 師 楢村 徹 (倉敷建築工房 楢村徹設計室所長)
U 景観法制定を契機とする都市・市街地再生の可能性と木(造)の役割
講 師 西村幸夫 (東京大学工学部都市工学科教授)
地域に根差した木造住宅を巡る研究・教育活動を通して
橋本清勇(広島国際大学社会環境科学部助教授)
優れた伝統である「木の文化」の復権可能性を検証し、併せて21世紀の都市・市街地の再生方向を探る
木の文化で都市の再生は可能か
コーディネーター 広原盛明 (NPO西山文庫副理事長・元京都府立大学学長)
T 古民家の再生を通して木の文化のデザイン性を考える
講 師 楢村 徹 (倉敷建築工房 楢村徹設計室所長)
U 景観法制定を契機とする都市・市街地再生の可能性と木(造)の役割
講 師 西村幸夫 (東京大学工学部都市工学科教授)
[T 楢村徹講演要旨・スライド解説]
地方の住宅のあり方を考える
倉敷で古い民家の再生をしています。20年ほど前から民家の再生に取り組み始めたのですが、当時はバブルの真最中で、「どうしてこんな汚い仕事をするの」「他に仕事はないのか」とかいわれました。また現代建築をやっている方からみますと、「なんとクサイ仕事をして」といった感じでした。でも地域には民家に住んでいる人がいっぱいいるわけですから、その人たちに対して民家のもつ文化とか景観とかをこつこつと説明しながら、地域の建築家として地道にやってきました。
周りをみると、まるでおもちゃ箱をひっくり返したような状態で無国籍の住宅が沢山建っています。こんな状況はまずい、せめて住宅ぐらいは地元の建築家がつくらなければならないと思いました。そして地方の住宅のあり方を考えたときに、結局残ったのは民家でした。民家というものをテーマにして日本の住宅や地方の住宅をつくっていこうと考えたのです。ですから、われわれは民家をつくる場合、新築と再生の区別をあまり意識しておりません。理想をいえば、いまわれわれがつくっている新築の民家が50年後、100年後に古民家として再生の対象になる、そんな民家をつくろうと目指しています。
風景を構成している民家の再生
地域では古民家がどんどん壊されていっています。オーナーの方に聞きますと、残したいのだけれども誰も相手にしてくれないという厳しい状況がそこにあります。古民家の再生というと、「何々家」とかいった文化財クラスの民家を思い浮かべられるようですが、そんな民家は残るべくして残ると思います。だからわれわれの対象は、日常風景を構成している普通の民家、極端に言えば牛小屋・馬小屋までを含めて一般の人がもっている民家です。それを現地の景観を前提にして再生するのです。しかし、民家の再生といってもなかなか理解されないので実際再生したものを見せると、うちの家はこれほど立派な家ではないといわれる。だから従前と従後の写真をみせて、こんな古い民家でもこんなに新しく生まれ変わることができると説明しなければなりません。このあたりが苦労するところです。
岡山の郊外の農村には、萱葺き・草葺きの屋根の上に亜鉛鉄板をひいた銀色の屋根の民家が建っています。そんな風景をみて萱葺きに戻した方がよいという意見もあるのですが、われわれはあの鉄板の形がよい、なぜあれが美しく見えるかということをよく考えてデザインしていこうという立場をとっています。もう17年も前のことですが、地元のテレビ局が民家の価値を再発見するような番組で、一番ぼろな家を提供してもらって改築をやったことがありました。そのときのデザインコンセプトは、屋根の形を生かしてガラスのトップライトを取るとか、蔵の扉の模様を壁のデザイン要素として使うとか、非常にデザイン志向の強い考え方でした。
倉敷の隣のまちでコミュニティ・センターの設計を仲間の6人でやったときのことです。古い民家の母屋と蔵の一部を解体してトップライトを付けたり、丸窓をこしらえたり、床にイタリアの大理石を敷いてその上を吹き抜けにしたりとか相当思い切った改造をやりました。この場所は町民のギャラリーとしてよく使われていますけれども、いわゆる和風というような感じでやっているわけではありません。「ごちゃ混ぜ」です。よくいえば「ハイブリッド」です。
民家再生のオリジナリティ
こんな再生プロジェクトをもう200軒以上もやっているのですが、以前に建築学会作品賞の最終審査まで残ったことがあります。そのときに審査員の意見が半分に分かれました。これを聞いてわれわれは「またか」と思ったのです。われわれがわざわざ作品賞部門に出したのは「現代建築をやっているんだ」ということが言いたかったからです。最近では理解していただける方が出てきましたが、当時はまだ評価されなかったわけです。
しかし、デザインのオリジナリティといっても西洋と東洋では考え方に違いがあるのではないでしょうか。日本では茶室の写しであったり、歌で言う本歌取りであったり、以前にあったものを継承しながら発展させたり転換させたりすることがよく行われてきました。そういう意味での日本的オリジナリティで考えると、民家再生というのは決してオリジナリティがないとはいえないと思います。もちろん古いものをただ大事に残して後世に伝えていくという保存もありますが、その場合はそこで時間が止まってしまうので、そこをどうつないでいくかというところにわれわれのオリジナリティがあると考えています。そんなことがあってから、その後に業績賞の方をいただいたというわけです。
手がけたものは伝建地区の中だけでももう20軒以上も建っています。そうなると個々の民家をどう残して再生させるかと同時に、街並み全体をどうしていくかも課題に上ってきます。倉敷のまちなかの美観地区に150年ぐらい続いている旅館の女将さんが旅館の前の呉服屋であった空家を買い取って、その再生を依頼されました。このテーマは伝建地区・美観地区のど真中で、女将さん、そのお姉さん、娘さん夫婦の3世帯がどう快適に住むかということでした。
この他、昔は染物屋で今は呉服屋さんの家ですが、オーナーから江戸時代の建物で藍染めの納屋だった崩壊寸前の建物をわれわれの事務所として使ったらどうかとの申し出がありました。ここも美観地区の端っこにあるので、規制があることで役所と意見がくい違うことになりやすい場所です。以前のものよりも建物の質を上げることさえきちっとできていればよいという考え方でやりました。1階は自由に出入りできる空間にして、2階は全部われわれの設計事務所として使っています。江戸時代の納屋なのに床はイタリアのテラコッタを敷いているし、家具はバリ島のものが並んでいるという具合です。とにかく質感と色がデザイン的にもバランスがとれていればしっくりと調和する、世界のヴァナキュラーと日本のヴァナキュラーが共存していてもいいじゃないかという考え方です。他の国のものでも感性的に非常に感動できるようなものは、自分のフィルターを通して日本のヴァナキュラーである民家にどんどん取り込んでいく、こういうインタータショナルな折衷方法も新しい試みとしてやっています。
また駅からかなり近い商業地域・防火地域で、江戸時代の建物が集中している市街地の再開発もやりました。防火地域ですから、普通ならこんな古い木造建物は全部壊してビルにする地域です。この中の空き家の母家を和室を和風レストランに再生する、その横に並んでいる蔵の壁に穴を明けて廊下でつないで中華レストランに改造する、蔵の前の離れを撤去して庭にするといったこと、通常の建築基準法でやっていたら不可能です。これからは地方分権の時代ですからその地域の自然や歴史を生かすような方向で条例を整備して可能になるようにしなければならないと思います。
われわれはデザイン志向だといわれていますが、大工さんたちが何代も何代もかけて作り上げてきた形やデザインに勝つなんて毛頭考えていません。いいものはいいものと認めてありがたく使う、古いデザインの意味を考え、より魅力的なものとして蘇ってくることをやればよいのです。何もかも自分でデザインしてしまうということは決していいことではないし、勝てないものは山ほどあると思い知らされます。
それからもう一つは、設計といわれるものの中であまり今まで考えてこなかった「時間」というものの大切さです。いま、時間をデザイン化して目に見える形にするにはどうすればよいかということを追求しています。新築の建物ではそういうことを意識するとか語られることはなかったのですが、建物を再生していく場合にはそこの部分をデザインとしてどう表現するのかということが一番難しいのです。でもそこを突き詰めていくと、何だか次の新しい形やデザインが生まれてくるそんな予感がしています。古いものに対して新しいものをどう対置するのか、そのデザインにおける対比性をどのように把握していくかが重要なことだとわかりました。
民家再生で豊かさの発見を
最後にもう一度基本に戻ると、民家の魅力というのはやはり構造体です。民家というのは、柱と梁が組み合わされていて安心感を覚えたり、存在感を覚えたりするものです。この民家自体のもつコンセプトを土台にして再生していく、それを繰り返しながらデザイン表現の新しい方法を考えていきたいと思います。地域の建築家としてひとつずつ少しでもいい影響を与えるものをつくっていきたいと考えています。最終的に問われるのは建物の質の問題ですから、まちの人に楽しんでもらえるような建物をひとつひとつつくっていくだけです。そのときに重要なことは、観光化を目的にした今までのやり方は間違いだということです。生活感のない再生プロジェクトは失敗します。われわれが求めているのは生活の豊かさですし、民家再生の一番の目的は本当の豊かさの発見だからです。
[質疑応答]
Q.塩崎(神戸大学)
普通の民家を普通の人が再生していくという話だと思いますが、再生しにくい、再生する価値がないという限界はどの程度の辺でしょうか。
A.楢村
基本的には、建っているものは直るというのがわれわれの立場です。基礎工事費とか建築費とかお金の比較をすることで方法は異なることはありますが、技術的にはほとんど直ります。われわれは文化財的な直し方じゃないですから、大工さんも自由にやってくれます。ある程度自由の利くほうがデザイナーとしては面白いのです。
Q.竹山(京都府立大)
非常にいい仕事をされていると思いますが、つくられると周りの人はどんな影響を受けますか。ああいう家に住みたいと思うのでしょうか。
A.楢村
地元のラジオで6年ぐらい住宅のことをしゃべっていますし、お祭りのときは再生した家も公開しています。事務所も公開し、反応があって受注は増える一方でとても対応できない状況です。しかし多くの方の期待に対して応えなければならないですから、もっと多くの建築家がこの仕事をやればよいと思います。
[U 西村幸夫講演要旨]
はじめに
西山文庫で話をするのは光栄です。2年ほど前の建築学会雑誌に「私の一冊」という特集があったとき、私は迷わず西山先生の『日本のすまい』と書きました。買ったのは学部の1年生か2年生のとき、箱入りの装丁から挿絵や図表に至るまで全部手作りで「こんな凄いことをやっている人がいる」と知ったときはショックでした。あれ以来、座右の銘として、くじけたときに自分を鞭打つ本として役立てています。西山先生とは、晩年の2年間ほど一緒にお仕事をする機会がありました。
今日は主として木造の町並みと景観法についてお話したいと思います。
木造の街並みがなぜ必要か
第1はなぜ木造の町並みが必要なのかということです。それは、私たちがいまだ町家のような中層以下の高密な住み方ができる都市型住宅を見出していないからです。町家に学ぶべきものはまだ沢山あると思うのです。1戸1戸が自立しつつ、集合することで全体の環境を保障するようになっています。つまり1戸1戸のデザインは共有壁ではなく敷地が完結しているので多様なのですが、敷地と敷地はぴったりとくっついている「ゼロロット」が出現しているので町並みとしての統一感があるのです。
また間口が狭くて奥行きが長い「鰻の寝床」のような街区割りはアジアに共通していて、道に面している表側は商業活動などアクティブな利用が想定されています。町家は基本的に多用途利用の併用住宅、ミックスト・ユースです。だから商業系とか住居系とか用途地域を固定すると、町家がもっている潜在的な多様性を凍結してしまうことになります。また商業系用途地域の容積率が高くかつ防火・準防火地区と重なっているので、町家のような伝統的建築物を構造や防火の面から否定するという自己矛盾を引き起こしてしまうのです。だから私たちは、低中層で高密かつ混在利用の多様性のある現代型都市住宅をこれから提案していかなければならないわけです。
都市計画は町並みをどう扱ってきたか
第2は、日本の都市計画はこのような伝統的街区割りや町並みをどのように扱ってきたかということです。歴史的にみると、都市計画は過去を徹底的に否定していく歴史ですね。市区改正とか耕地整理とかいって市街地や郊外を全部改造したり整理したりする。そして現存するもので合わないものは都市計画から除外するのです。文化財については伝統建築物法があってもいいのですが、建築基準法3条で除外する。土地区画整理事業では神社・仏閣などが動かせない場合は事業から除外する。区画の仕方を変えるとか道を曲げてつけるとかしないのです。その方が近代化していくためには都合がよかったのかも知れません。
しかしその中にもクオリティを高め、もっといいものを作っていこうという流れが全くなかったわけではありません。風致・美化を目指す地区制度として美観地区が旧市街地建築物法の中に取り入れられました。実は都市計画制度をつくっていくとき、土木的な都市計画をつくるのか建築的な都市計画をつくるのかという大きな争いがあったのですね。市街地建築物法の前身のひとつにあたる東京市建築条例(案)では、東京市は1906年に建築学会に委嘱して建築条例をつくります。このときの東京市長の尾崎行雄は、建築条例(案)に対する要望として第1に建築の美観を挙げているのです。これを受けた建築学会の曽禰達蔵は建築物の連続体として街路景観を大切にしたいと考えていました。そこから建築条例がスタートするのです。ところがこれが市街地建築物法になる頃には美観地区に矮小化されてしまいます。なぜかというと、大蔵省との間の論争で、景観とか美観で都市をコントロールしていくよりも道路整備といった土木的なインフラ整備をやる方が先決ではないかという議論が勝つのです。
こうして建築的論理から土木的論理への転換によって日本の都市計画法の基本が決まるのですが、土木的な都市計画というのは土木的な標準設計が基本なので誰がやっても同じになる。だからそこには裁量性がない。裁量性があるものは行政になじまないということで、美観地区ができた後も美観地区に関する政令・省令は一つも出ていないのです。これでは美観地区制度が有名無実になるのも当然です。
木造街区の防火の考え方
第3は、木造建物や街区の防火に関する考え方です。日本の歴史的町並みの3分の2は町家なのです。そしてそのまた3分の2が商業系の用途地域なので指定容積率は300パーセントから400パーセントです。そうすると自動的に準防火地域がかかって伝統建築物の保護ができなくなる。伝統的な家の建て方ができなくなってしまうのです。だから地方分権が進んだ自治体では、ごく少数ですが、ダウンゾーニングで近隣商業地域でも200パーセントぐらいにして準防火地区を外すとか工夫しています。唯一合法的に外れるのは伝建地区の場合です。最近少し動きがありまして、京都市では「伝統的景観保全にかかわる防火上の措置にかかわる条例」というのができて、祇園南側地区から準防火地区を外しました。つまり単体としての伝統建築物の防火性能を上げるというのではなく、地区全体としての防火性能を上げるという考え方です。
また従来は道路幅が4メートル未満の場合は建築基準法で建築が認められなかったのですが、最近は新しくできた連坦市街地建築物設計制度を利用して、設計する地域全体を大きな敷地とみなして4メートル未満の道路でも敷地の中の通路だと考えよう。つまり狭い道路でも地区全体の防火性能を向上させることによって建築は可能だという大局的な考え方が出てきています。この考え方なんかが積極的に適用されていけば、今後の木造街区の姿は大きく変わっていく可能性があります。
景観法の成立
さて次は景観法についてです。美観地区が景観地区として100年ぶりに蘇った背景には、現在の都市計画の行き詰まりがあると思います。つい先日も国土交通省街路課の課長補佐と話していたら、最近の彼の仕事は都市計画道路を決定することではなくて消すことだというのですね。大阪府でもこの数年間に20本ぐらい都市計画道路を計画変更して消しているのです。これまで都市計画には「廃止」という概念がなかった。変更はあったが廃止をするという発想はなかった。それが永年つくられない道路は廃止や見直しができるようになったのです。仙台では都市計画道路決定が変更されたとき、これまでの都市計画制限に対して補償措置が必要か否かについての裁判があり、地裁と高裁で相次いで補償の必要はないという判決が出ました。これは面白い判決で、都市計画決定が不要とわかったらすぐに外さなければならないとも読める内容です。明らかに時代が変わったのです。
景観法の直接の契機となったのは、やはり国立のマンション訴訟の影響が大きかったですね。国立市のマンション訴訟は実はいろんな種類があって一言では説明が難しいのですが、これらの民事訴訟では景観権はもとより景観利益に関しても裁判官によって大きく意見が分かれているのです。ある裁判官は、景観を維持すべきものとしてもそれは個人に委ねられるべきものではなく、住民を代表するような賢慮に委ねられるべきものであるというのです。つまり個人は景観権をもっていないが、条例や法律でやるのだったらいいよということです。また別の裁判官は、保持することが望ましい景観が具体的にはどんなものか、いまだに国民の間に共通の理解があると言い難い。しかも具体的な法令上の規制がないときに、景観保持の観点から私有財産の行使を制約するという考え方は一般的なものといえないとの判断です。要するに法律すらないときに、景観権や景観利益を主張する立場からの言い分には無理があるという考え方です。これが景観法の必要性が公になった第1の背景です。
第2の契機は、国土交通省の打ち出した「美しい国づくり大綱」の存在です。その中で景観に関する基本法制を平成16年度を目処につくると書いてあります。私自身も自民党や民主党へレクチャーに行きました。それに今回の立法は「景観緑三法」といって、他に都市緑地保全法を抜本的に改正して都市緑地法にした点も重要です。緑化地域と緑化率を決めて、開発するときは緑化率を守りなさいというものです。それから屋外広告物については従来なかなか規制強化が出来なかったのですが、今回の改正でかなり厳しく取り締まれるようになりました。岐阜県など規制緩和特区の中に屋外広告物の簡易除去制度を導入したところが全国で7つぐらいあって、景観特区では屋外広告物をバンバン取り締まれるようにした。それがうまくいっているということで法律改正が出来たわけです。
景観法の特徴
景観法自体の特徴について幾つか挙げますと、まず第1は景観形成に関する建築物に対する税制上の特例です。とりわけ相続税の減免ができるというのが大きいですね。その対象には、条例で規制された景観上重要な建物・樹木・樹林・里山・斜面緑地も入ります。減免率は国税庁の通達で出てくるのですが、3割から4割だろうと思われます。これまで減免の対象になったのは、建物とその下にある敷地だけでした。それが今回は、景観を一体として形成している土地がすべて含まれるのです。こういう相続税の減免は今回がはじめてです。従来は文化庁が重要文化財や伝建地区の伝統建築物の減免を10年来ずっといってきたのですが、伝統建築物は相続税の減免がなかった。それが今回実現したわけです。すでに平成16年1月1日から控除割合が変更され、重要文化財は従来の6割から7割へ拡充されました。それも庭や周りの山林までも含めてです。登録有形文化財と伝建地区内の伝統建築物は3割減免で、これも今回がはじめてです。
景観法の仕組みと工夫
次は、景観法の仕組みについてです。今日は「景観計画区域」と「景観地区」についてだけお話します。前者の方はいまある景観条例ぐらい緩くてほとんど何も規制できません。後者の景観地区は都市計画決定をして、建築物の意匠や形態に関して認定制度というのを導入している点が重要です。景観地区の建築物に関しては高さや壁面位置など数値基準で決められるものは建築確認手続きを受けなければなりません。しかし、形態・色彩・意匠などは数値基準が求められないので、これに関しては市長村長の認定になるのですね。これは非常にユニークな仕組みで市長村長しか認定できない。建築確認のように絶対民間にはいかないようになっています。いわゆるダブルトラックです。欧米では当たり前なのですが、建物単体に関しては安全性の基準から許可が下ります。しかしもう一つ都市計画的な許可がないと建物は建てられない。この制度が限られた景観地区の中ではありますが、日本ではじめて出来るのです。したがって「認定」というのは裁量性の世界です。これがどれぐらいうまくいくかは、これからの課題でしょう。
それから「景観重要公共施設」というのもうまく使えば使えると思います。道路・河川・港湾といった公共施設を管理者の同意を得て景観重要施設として計画にいれることができます。そうなると、例えば道路上の電柱なども景観法に則って占有許可を出すことになる。景観法上問題があるから地下に入れなさいといえるのですね。伝建地区の中の道路や河川を景観重要施設に指定していろんな工夫をするということも可能になります。
日本の都市計画法や建築基準法は、先ほどもいいましたように歴史的なものや文化的なものを例外扱いにしてきたのです。法律の中に文化という言葉はありません。伝統という言葉は伝建地区のところぐらいです。都市計画行政は自治事務です。いままでの上からの画一的な通達行政とは全く違う裁量と工夫ができるようになってきました。だから裁量を機能させることができるようにやる人に資格をもたせ、専門家をうまく行政の中に取り込むか、あるいは意思決定システムを透明化していろんな人が意見をいえるようにするか、そのような仕組みを地域の実情に応じてつくっていくことが大切だと思います。
[質疑応答]
Q.上知(設計事務所)
景観法の成立によって国から地方自治体に景観を担う役割が移ってきたということですが、地方自治体がその責任を負わない場合はどうすればよいのでしょうか。例えば、景観を損なう公共施設が建つ場合、民間がそれを防ぐようなことはできるのでしょうか。
A.西村
公共事業をストップできるかというのが一番難しい問題ですが、都市計画法の中に住民による提案制度があります。そういう建物は景観的にも非常に重要な建物だからきちんと配慮すべきだといった発言をしたり、ルールを提案することができます。また景観整備機構というNPOをつくって、積極的に担っていく方法もあります。
Q.芦屋市担当者
景観条例を担当していたのですが、景観法ができるのがやっぱり20年ぐらい遅い感じです。電線の地中化も景気のよい時代にスタートしていたら出来たかも知れませんが、いまでは難しい。私は土木ですが、建築の人たちは建物だけに関心があって周辺の景観や環境に対する意識が低い。芦屋では景観条例で大規模建築物の場合は緑化率とか樹木数などの基準を決めて指導しているのですが、建築家や業者は従来の樹木を全部切ってしまって新しい木に植え替えてしまう。これでは芦屋らしい雰囲気が無くなってしまうのです。
A.西村
景観を守るのは土木か建築かという話ではなくて、優秀な専門家はみんなそのことを考えています。樹木の保存にしても、景観重要樹木にすれば1本1本指定できますし、指定すると史跡や旧跡と同じ扱いになります。工夫すれば法的にも充分対応できると思います。(まとめ 広原盛明)
地域に根差した木造住宅を巡る研究・教育活動を通して
橋本清勇(広島国際大学社会環境科学部助教授)
今どきですが、私の研究テーマは、町家や農家、民家など地域に根差した木造住宅を保全・活用するための仕組みを模索することです。これまでの京都都心部・京町家をめぐる研究活動を通して、そうした仕組みには、「木づくり」であるがゆえの方法、例えば、大工・職人、設計者、専門業者などと協働する持続的維持管理の手法、木造の知恵・技・文化を地域社会の中で継承・発展する仕組みが重要であることが分かりました。1995年の阪神・淡路大震災以後、木造建物を合理的に解明する動きが活発になり、伝統的木構造の力学的特性の解明もかなり進んだ結果、木造建築の本当の“強さ”や“良さ”が見えてきましたが、計画的な課題は未だ多いようです。今年4月に訪れた新潟県中越地震の被災地では、せがい造りと呼ばれる地域独特の木造住宅が、快適性や利便性のための工法やデザインが現れ、震災の被害を受けやすくなったばかりか、経済的・社会的要素も加わって、建物の復旧を困難にしており、実際被災地では建て起こし等の方法で修復できる木造住宅が多く取り壊されているようです。日本建築学会近畿支部木造部会やNPO、民間研究グループなどの活動に参加しながら、そして大学周辺での調査研究活動を通じて、地域固有の既存木造住宅を長く受け継ぐための計画手法を見つけられればと期待しています。
話は変わりますが、京都のある著名な大工棟梁から「大学で本物の木造(建築)を教えてや」と頼まれたことがあります。木造建築には授業コマや科目という枠では教えきれない内容を含んでいます。しかし今の建築系学科では、私の大学も含め、木造建築を系統立てて教えることはごく稀です。現場主義ではないですが、せめて本物の木に触れ、日本で育まれた木造文化を体験する機会が大学教育にあればと、先の大工棟梁の言葉の後ずっと考えていました。そんな中、3年前に広島国際大学へ赴任し、国立大学とは異なる教育研究環境に戸惑いつつも、この思いを形にする機会に巡り会いました。学生たちとともに文字通りゼロから小規模な木造建物「東屋」を造る試みに取り組むことにしたのです。同僚の先生方の協力を得て木工道具や木材を準備し、学生らと本格的に加工を始めたのは2004年夏。当初は近所の大工さんに指導をと目論んでいましたが、無謀な企画の引き受け手はなく、結局は私と数名の教員で学生18名を指導(?)する羽目になりました。できるだけ金物を使わない伝統的な構法・工法で建物を、学生自らがデザインし、小舞を組んで土壁を塗ることも検討中です。真夏の炎天下、鑿や鋸、丸ノコや角ノミ、自動カンナなどを危うい手つきで操りながら材木を刻み、構造材の仮組みまで行いました。ノンプロが学生に教える不安と心配、緊張の中での作業でしたが、尺杖をつくり、指金や墨壺をつかって墨付をし、ホゾ・ホゾ穴を加工することも、また刻み方を間違って作業が遅れたことも、仮組み後、打ち上げパーティをしたことも、参加した学生には大変好印象だったようです。彼らのレポートからは、木造建築への理解とともに、木造建築への関心・学習意欲の向上、現場での協働作業とその際の意思伝達・コミュニケーションの大切さ、そしてモノつくりの楽しさを読み取ることが出来ます。教員として準備や作業も大変ですが、「大学で本物の木造」を教えることがいかに大切かを知ることが出来たような気がしています。
昨年末から地元住民やグループのまちづくり活動に参加する機会を得て、現在呉市を中心とした研究活動も行いつつあります。京都とは異なり、木造というキーワードはなかなか出てきませんが、広島周辺にも居蔵造をはじめ地域固有の木造建物が数多く残されており、今後、これらを保全・活用の計画手法なども考えていくつもりです。が、それと同時に、学生や大学周辺の住民、子供など身近な人々に、木造建築の本当の面白さ・楽しさ・すばらしさを知ってもらう取り組みも大切にしていきたいと感じる今日この頃です。(文庫運営委員)
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