レター12号(2001.06.01)

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第7号(2000.03)
第6号(2000.01)
第5号(1999.09)
第4号(1999.06)
第3号 (1999.03)
第2号(1998.12)
創刊号(1998.09)

 

ここでは一部を掲載しています。

野宿生活者への居住支援
中島明子(和洋女子大学教授)
西山先生の研究・教育から学んだもの
 中村 攻(千葉大学園芸学部教授)

野宿生活者への居住支援
中島明子(和洋女子大学教授)
 住宅政策は住宅の無い人には無関係?
 東京山谷地域の野宿生活者への支援ボランティアを始めて10年余り経過した。90年代から日本において野宿生活者が急増しているが、その時期と重ねて活動に参加してきたことになる。動機はいろいろあるのだが、最も単純な理由は、住宅政策が最も住宅に窮している“家の無い人々”には殆ど意味をなさないことに、ある時ふと気づいたからである。それは研究者としての全くの無知を晒したことにはなるが、私にとっては衝撃であった。
 イギリス、あるいは他の先進諸国では、ホームレスの人々には住宅政策が対応している。昨年暮れにはEU15ヶ国住宅大臣会議でホームレス問題を討議したところである。しかし、日本の住宅政策は、住宅に困窮している人は対象にするが、人に着目した住居保障はしない。日本はヨーロッパ諸国に比べて失業率も低く、ホームレスの人数も少ないから、福祉施策で十分だろうと考えている節もある。
 確かに統計をみると、ロンドン(人口約730万人)のホームレスと認定された世帯は28,589とあり、人口規模がそれ程違わない東京都23区(同805万人)の5,700人と比べるとロンドンの方が圧倒的に多く見える。しかしそれは定義の違いであり、日本でいう「ホームレス」は野宿生活者を指すが、欧米でのホームレスは、家の無い状態だけではなく、その危険にある人々、施設居住、簡易宿泊所等の不安定居住にある人々も含まれた人数である(イギリスでは住居法により定義づけられている)。そこで、野宿生活者だけを比較すれば(2000年1月調査)、ロンドンでは400人から620人となり、首都東京における野宿者は異常に多いのである。
 イギリスのホームレスの定義にしたがって日本の「ホームレス」の人数を算出することは難しいが、東京都23区を対象にざっとわかっている数(2000年)をあげてみよう。
 生活保護法による施設居住893人、社会福祉事業法による宿泊所居住3,402人、民間の簡易宿泊所(ドヤ)8,892人。家賃滞納者は都営住宅だけでも24,056世帯、「住宅以外の建物に居住する準世帯」5,000、老朽修理不能専用住宅居住世帯24,100である。重複が含まれると思われるが相当数になるのがわかる。他に住居無く入院している社会的入院の人々(数不明)がおり、これら生命、生存の危機にある状態の人々が放置されたまま住宅政策が展開しているのである。
 20世紀最後の10年に増加してきた野宿生活者の背景には生活保護受給者の増大があり、貧困の拡大がある。リッチな大国日本、そびえ立つ東京都庁の足下に、河川敷に公園に、最貧困の姿が見えるようになった。バブルを経過し都市の公共空間が美しくなった分、それは極度に異質な姿である。この現象は、市場主義、規制緩和路線を続ける政府の失策の象徴であり、「住宅政策の欠陥」の象徴である…というのが私の見解である。
 そこでまずボランティアをしながら「新たな」居住保障の可能性を探ろうと思っている内に10年経ってしまった。

福祉施策の限界?
 では福祉施策はどうか。日本では野宿生活者に対しては、生活保護受給による道があり、高齢、心身の疾病をもつ人であれば、本人が拒否しない限りほぼ保護を受けることは可能だ。しかし、野宿生活者が増加し、長期化し、高齢化するなかで問題が浮き彫りになってきた。第1に現行の福祉施策では、稼働年齢層が排除されているため、一度住宅を失うと、いくら意欲があっても生活再建と就労へのスタートラインに立てなくなってしまう。第2の問題は、生活保護を受給できても様々な理由からスリップして再び路上に戻ることが少なくないことである。さらに第3の問題は、生活保護が受けた人々の「自立」の回復に結びつかず、生活保護に依存した福祉の罠に陥ってしまっていることである。そのことは財政の効果的循環の点からも問題がある。こうした問題は、生活保護法の運用の問題でもある。しかし野宿生活者問題の解決は何よりもまず安定した居住の場の確保であり、自立支援の前提には居住保障が必要だということが欠落している。

「ホームレス」の人々像
 ところで、野宿者支援に対するバリアの一つに野宿生活者への偏見がある。彼らは家が無い状態にあるだけで、当たり前の人間である。ところが、「ホームレス」は自ら選択して野宿し、働く意欲もなく、悪臭をまき散らし、酒浸りである。彼らは人生の落伍者であり、犯罪を引き起こしたかもしれない等々のホームレス像が描かれる。そのことは、汗水たらして働いている人々の税金で彼らを保護する必要は無いという考えにつながる。実際、公共の場を占拠し不快を感じている人は多い。
 しかし、野宿者の実態は全く違うといってよい。野宿生活に陥ったことによる心的外傷の大きさ(ゴミ箱から残飯を食べたということの心理的衝撃等)、そして長期化するにしたがって心身ともに疲弊し、意欲を失い、人間らしさを失っていくという事実が理解されていない。昨年3月に発表された日本女子大学教授岩田正美さんが中心となって行った千名を越える東京都の調査でも、不安定職業、不安定居住の人々がちょっとしたことでホームレスになると同時に、近年では安定的な職についていた人が路上に押し出されることが明らかになってきた。かつては生活再建のクッションになっていた日雇い労働自体が少なくなり、また低家賃住宅も不足しているために、安定職から一気に野宿につながっている。
 この調査を基に作成された東京都のホームレス白書『東京のホームレス』について、マスコミは「8割が就労を望んでいます」という見出しを掲げ、野宿生活者が怠け者ではないことを強調した。しかし区部の福祉現場の職員は本当に就労意欲のある人はごく少ないと感じている。これは表面的には正しいが、注意する必要がある。調査をしたのは野宿生活者を支援するボランテイア組織に関わるメンバーで、野宿生活者との一定の信頼関係をもった人々による聞き取り調査である。行政当局の前では自暴自棄になっていても、真の要求は自らの生活の再建であり、人生に希望を見出したいという心情を吐露してくれる。
 くり返すが野宿生活者も当たり前の人間である。失敗もすれば誤りも犯す。しかし人間が人間らしく生きてゆく上で住宅は不可欠であり、衣食と共にどんな人からも屋根をはぎ取ることはできない、と考えているうちに、私が所属するボランテイア組織は活動を飛躍していった。

コミュニティービジネスへ
 私が参加しているのは東京の山谷のふるさとの会である。1990年にボランティア組織として発足し、週1回の炊き出しや夏祭り、年越し、学習・文化活動を通して野宿生活者を支援してきた。私は不良会員ではあるが多くのグッドウィルと共に活動してきた。
 しかし、こうした緊急援護的支援では真の解決につながらないことは誰がみても明らかである。会は95年にH&C財団の助成を受けて自立支援センターを開設し、99年には単身男性20名定員の第1号の宿泊所<千束館>を開設すると共にNPO法人格を取得し、昨年8月には女性18名用の宿泊所<日の出館>の経営に乗り出した。現在はヘルパー2級取得などの就労支援と要介護者が居住する3棟目の改修工事が進み、夏前には完成する。現在はボランティア組織とNPOと研究組織がそれぞれに関連しながら活動を行っている。
 施設の改装計画には新建築家技術者集団の若手建築家が参加し、地域に拠点を設け、コミュニティアーキテクトになりつつある。
 野宿生活から脱出し、あたり前の生活に戻る道はいくつかある。一般には野宿生活の長期化のため、施設や簡易宿泊所等により居所を確保して生活保護を受給し、健康を回復し、生活や就労自立の訓練を行い、一般住宅(公営住宅は厳しい)への入居となる。しかしその全ての過程で困難に直面し、前述したようにスリップして再び野宿に戻るか、最初から諦めてしまう。そこでふるさとの会は自立を支援し、アパートに居住するようになっても仲間のいる場所<共同リビング>を確保した。
 実はこうした生活保護受給者の宿泊所を設けているNPOは他にもある。しかしそれとの決定的な違いは、確実に自立につなげている点であろう。この数年間にイギリス、アメリカの非営利組織との交流の中でそれらの組織が億円単位の事業を動かしているのに感嘆していたが、NPO法人ふるさとの会も今年から1億円を越える財政規模となり、正規の職員12名を抱えるようになった。コミュニティービジネスへの転換である。

私はどのようにかかわれるか?
 私はこの分野の研究者としては新参者であり、殆ど研究成果を上げてこなかった。しかし、私自身のこの10年間を振り返るならば、ホームレス問題先進国であるイギリスの経験から得た希望と確信を伝え、活動の方向性をそれなりに示してきた。それ以上に研究組織や研究運動を通しての多様な人々のグッドウィルに依拠した「繋ぎ手」の役割を果たしてきたのだと思う。野宿生活者問題に関する理論的課題を集中的に論じようとする山谷と釜ケ崎の東西寄場の連続討論会が開催される。全国各地の関係する人々との連携ができつつある。卒論や修論で参加する学生さんも増えてきた。ここには現代都市が抱える住宅及び都市・地域再生に関する研究課題が凝縮されている。若手研究者に混ざって寄せ場型地域の再生と野宿生活者の研究も始まる。
 19世紀の住宅改良家オクタヴィア・ヒルの自助型の活動を想起しながら、それとの根本的相違はサービスを受ける人と提供する人、そして行政とNPOとの対等なパートナーシップにあり、それがどれだけ野宿生活者の人間らしい生活の回復につながるかを問わねばらないだろう。
 私自身もそろそろ「イギリスでは」の「デハノカミ」を辞し、10年後の山谷地域の夢を描きながら、日本の現実から考えていかなければならないと覚悟しております。


西山先生の研究・教育から学んだもの

中村 攻(千葉大学園芸学部教授)
私は、西山先生の退官前の6年間と、退官後の2年間近く、計8年程を先生の指導のもとで学生生活をおくった。円熟の境にあり、教育にも十分に手加減が加えられたものであったが、それでもゼミでの指導は厳しく、要求されるレベルは高く奥深いものであった。ゼミ前の緊張感とゼミ終了後の疲労と開放感は未だに忘れられるものではない。ゼミを始め日常の研究生活のなかから、先生から学んだ研究・教育上の幾つかの視点を列記し、文庫関係者等によって今後進められていくであろう“西山夘三論”の一端に参加したいと思う。
 
研究者としての立場の自覚と責任
当時は、都市問題が大きい国民の関心となり、環境公害問題も顕在化し始めていた。こうした問題での住民運動も活発になり、我々の目も当然そうしたものに向けられていった。そうしたなかで、こうした運動に関わる専門的立場の研究者の関わり方を、先生は私達に厳しく指導された。――住民は私達を深い専門的知識をもった者として期待しています。もしそうしたものをもたないまま住民運動に関わるならば、それは単なる住民運動のゴロツキにすぎません。――計画研究者として如何なる理論と知識をもって運動に関わるかこそ先生にとっては自問されたことであった。これには、運動の成果のためには研究者だけでなく、自治体や民間で働く人々、住民や住民組織といった各階各層の人々の協同が不可欠であるという運動論が基礎にあり、その上で研究者の思い上がり(研究者なら何でもできる)と逆に責任放棄(やるべき研究をやらない)という二重の誤りを厳しく戒めたものであった。先生は、国民のすまい・まちづくりの運動に大きな期待をかけ、かかわりをもちながら住民を援助されてきたが、計画の専門的研究者として貢献するという立場は一貫している。運動の現実を直視しながら計画研究者に何が期待されているかを洞察し、そこから理論的貢献をするという明確な姿勢は、今日も尚教訓的である。

事象の総合性に埋没せぬ計画者としての立場
“建築計画学は法則定立学か問題解決学か”といった質問を、建築若手研究者の会で先生にしたことがある。先生は、“難しい質問ですね”と前置きした上で“問題解決学でしょう”と回答された。“その研究は何の役に立ちますか!”という先生の質問は、研究室の学生だけでなく、学会等でも広く全国的に知られている。現実に生起する問題の解決に如何に役立つのかという先生の立場は、計画者がそれが成り立つ現実社会を知らないという“計画オタク”を許さない。すまいやまちが社会的存在である以上、それが成り立つ社会への十分な認識と理解なくして、正しい解答を得ることができないとする立場は、学問に極めて広い総合性を求めている。しかし、先生は、自らの学問に極めて広い総合性を求めてはいるが、そこに止まってはいない。広い総合性に立脚した上で、再び鋭い計画者として専門性を求めてくる。事象の総合的視野での検討を求めながら、そのなかに埋没することを許さず、総合性のなかにしっかりと根を張った強固にして明確な計画的課題の摘出とそれへの対応を求めている。
こうした事例の1つに、先生の民族学への態度があげられる。生活文化や伝承文化を、聞き写しを主な手法として掘り起こす民族学は、すまい・まちづくりの研究者にとっては、極めて魔性的で魅力がある領域である。先生は、そうしたものへの大きい魅力とその成果には大いなる期待を寄せつつも、計画者がそうしたものに深入りすることを良しとしなかった。衣食住に止まらず人間生活の全体を対象として際限なくその様相を追い求める民族学への深入りは、現実社会から厳しい計画的課題への解決を求められている計画学研究者にとっては、許されることではなかった。先生の人間生活への広い興味と、メモ魔ともいわれる調査手法からして先生を民族学者でもあると錯覚する人々もいるが、先生こそ、計画学研究がそうしたものに深入りするのを厳しく批判した人なのである。
歴史学に対する立場も、これによく似ている。先生は、学生の頃には建築史に深い興味を示していた。先生の建築家としての思想の確立には、建築史研究が大きい影響を与えていたものと推察される。しかし、計画学研究者となった先生の歴史研究へのスタンスは大きく変化した。“歴史学者は、そもそもの歴史をやる。計画者は計画的テーマをもってそれに必要な歴史をやる”――これが先生の歴史学研究への基本スタンスであった。歴史への向い方も違うし、それ故に取り組み方も異なってくる。歴史学への深い興味と関心を寄せながらも、計画学研究者としての明確な一線を画し、歴史学への無自覚な埋没を厳しく戒めたのである。“歴史をやっているとさも学問をやっているという錯覚にとりつかれます。計画者にとっては要注意です。”これが先生の立場であった。対象への広い総合的検討を求めながらも、そのなかに埋没することを許さぬ計画者としての立場の確立を求めたのである。
問題解決学として建築学を捉えた先生の研究は、今日の大学の教育・研究にとって極めて重要な示唆を示すものである。大学の教育・研究が純粋科学ともいうべき分析的で抽象的な方向に偏重した結果、国民生活と大きく乖離し、学生には生き生きとした刺激を与えられなくなっている。こうした反省の上に立って、もっと具体的で実際的なテーマを中心に教育・研究を再構築することが求められている。即ち、実学の復権である。しかし、実学とは何かという共通の認識もないままに、大学は大きくカーブを切ろうとしている。私の見る限りでは、それは実務であって実学ではない。大学は実務のための教育・研究の場に変質しようとしている。大学はもっと現実社会との深い関わりをもたなくてはならないが、それは短絡的に実務を教育・研究することではない。国民生活の現実のなかから研究テーマを掘りおこし、その成果を再び国民生活に返していくという実際的で具体的な研究・教育のスタイルを確立することである。今日の大学が抱えるこうした課題に、先生の研究・教育の仕方は極めて教訓的である。

外と内の競争のなかで育った精緻な理論
文庫に所蔵されている莫大な資料の量に驚かない者はない。そしてその資料の一つ一つに注がれたエネルギーに圧倒されない者はない。これが一個人の成せる業なのであろうか?
一つ一つの資料を丹念に収集し保存していく能力、興味あることを見聞すれば即座にメモして残しておく能力、そしてこれらを駆使して展開される精緻な理論と、これらに費やされる精力的な仕事量。これらは先生の持って生れた能力であろうか?もし、100%そうであるなら、これはもう敬意をもって達観するより他にはあるまい。そうした資質の片鱗は当然のこととしても、その多くの部分は、その後の先生の研究者生活によって獲得されたのではなかろうか?
先生の研究は、多くの場合は論敵との論争のなかで遂行されてきた。外部にある論争の相手は、国や自治体であったり、企業であったり、時には学会の権威であったりした。庶民住宅の研究を学会で認知させていく闘い、不良住宅の採点評価法の確立に当って厳しい論拠を求められる闘い、景観という極めて難しいテーマに客観的論拠を与えていく闘い等々、先生の研究は常に厳しい論争のなかで遂行されてきた。内部にあっても、デザムをはじめ若き建築家相互の論争をはじめ研究者の間での論争によって鍛えられ励まされている。先生の研究は常に外と内の論争のなかで遂行されてきたのである。このことが、曖昧さを許さない理論の精緻さを求める結果となった。資料の裏付けも必要であり莫大な資料とその保存が必要だった。
先生は、単なる資料の保存マニアでもメモ魔でもない。国民の生活と学問の進歩をかけた論争のなかで常に研究してきた。そのことが、先生の驚異的な能力を育ててきたのである。
争点の曖昧な研究、国民生活と学問の進歩を背中に感じない研究のなかからは、こうした能力は決して養われないことを銘記させられるものである。

構想計画の提唱
 先生の資料の各分野別の整理が関係者の分担によって進められており「西山夘三とその時代」にその一端が紹介されている。分担者は各々に適任であり、単なる資料の整理に止まらずに、各分野毎の先生の研究の流れが解読されることが十分に予感される。各分野毎の「西山夘三論」は、その成果をまたなくてはいけないが、私が日常かかわっている都市計画(農村計画、国土計画)の分野で、先生の際立った特徴である「構想計画」について若干の批評をさせていただく。構想計画なる概念は、60年の世界デザイン会議において先生によって提唱されたものとされる。以後、京都計画、奈良計画、古やまと計画、21世紀の国土の構想といった一連の作品を発表している。先生は、これら構想計画を論ずる時のいくつかの重要な視点をも同時に提起している。その1つは、構想計画は生活空間の破壊に日々直面し、それと闘う人々にとっての目指すべき総合的な生活空間のビジョンである。従って、それは人々の運動によって実現されるものであり、中身も変化し進歩させられるダイナミックな性格のものなのである。住民の実現に向けた運動なくして、自然に到達するビジョンではないのである。この点では、今日の自治体にみられる基本構想や基本計画とは全く性格を異にするものである。
 先生はまた、提案された形にとらわれず、その時の対決点を見やすい形にしたものとして構想計画を捉えている。従ってそれは全体としては仮設的構想であり、その時々のまちづくりの主要な論点への形を介しての提案であって、主従の全ての要素を網羅して検討されたものでないことを断っている。こうした視点は、構想計画を形にのみとらわれて論評するのでなく、各々の構想で何が対決点であり、それに対してどんな形を対峙できたかということこそ論点の中心におかれなければならない。各々の計画は、こうした立場でみると、力点(対決点)も明解であり、形として表現されたものには弱点も存在することが理解できる。一連の構想計画のなかでポイントとなるのは、先生の都市計画をめぐる対決点がどのように変化したかということであり、その各々への形の提案が如何になされたかということである。一連の構想計画を追いかけることによって、各々の時点での先生の都市計画の力点の置き方と、その変化の様相を見ることができる。また提案された各々の形の奥にある先生の都市像というものが推察できる(都市像からみれば形は極めて仮設的なものである)。
 京都計画では、対決点は文化財都市における保存と開発の在り方でありモータリゼーションによる都市の荒廃であった。形としては積層住宅(イエポリス)による中心軸と周辺の低層住宅群の保存であった。そこには、都市部でのモータリゼーションを止揚し、風格の特化を求め空間の対比を強調する都市像が浮かび上がってくる。
 奈良計画では、対決点は京都計画と大きく変化しないが、歴史的都市における景観保存の在り方が加わる。形としては極端な積層住宅群は姿を消すが、地下鉄が走る都市軸と周辺の公園と一体となった低層住宅という空間対比の都市が提案される。景観を文化としてとらえる都市像が付加されていく。
 21世紀の国土の構想は、これまでの全ての研究成果を結実させた構想計画である。当時このために「随分と勉強したよ」と述懐されたのを覚えている。ここでの対決点(課題)を10ヶ条にまとめられている。その多くは、住居、レクリェーション、交通、文化、コントラスト空間といったこれまでの住宅、都市の研究のなかでつくられてきたものである。こうしたなかで京都・奈良・古やまと計画にはみられなかった特徴的な点として住民自治という視点が鮮明になる。形としては、平均20万人程度の自治生活圏とその中心としての核市が提案される。先生の都市像のなかに住民自治という姿が書き加えられたといえよう。ここに至って形としての都市軸構想は後退する。しかし、その背後の画一的な都市を排し、都市像としての空間の対比を強調する姿は一貫している。
 構想計画は先生が提唱されてきた計画学研究者の重要な仕事のひとつである。それは単なる調査研究でもなければ、いわゆる計画でもない。研究と計画を結んだ総合的作業である。先生の足跡をたどりながら、社会が求める大きい課題に対して、科学的思考に立脚した形として提案していく構想計画の重要性を再認識させられた。今日の時点でみると先生の構想計画には十分に対応されていない(即ち重要な対決点とは成り得ていない)課題に、環境との共生の在り方がある。この点については先生のなかには“人間にとって自然は大切”という視点はみえても“共生の相手としての自然”というものは不十分である。この点での明確な都市像はみられない。その他にも幾つかの新しい課題(対決点)もあろう。一人では無理としても集団的作業のなかで新しい構想計画を描きたいものである。また、時々の対決点を見やすい形で提案するものが構想計画であり、総体としてみれば弱点も十分に存在するものであるとする先生の考え方に立脚すれば、この作業はそれ程超人的な能力を必要とするものでもない。運動の目標であり、運動によって変化し進歩するダイナミックなものなのだから、若い人々にも大いに挑戦してほしいものである。

 先生は単なる反体制的な計画学研究者としてみる人々もいるがそれは先生が目指した姿ではない。先生は社会と学問の進歩のためにこそその生涯を貫いた人である。
 21世紀の国土の構想で先生の提案した20万程度の自治生活圏は、その型としては、今日では政府の目標とする国土像になっている。選外となった西山提案が、今日では型としては(その精神は異なっているが)生きている。歴史のなかで生き残る生命力をもっていたのは西山提案であることが明白である。
 構想計画なる概念も、今日では自治体の基本構想と基本計画という型で(その精神は異なっているが)一般化している。
 先生が目指した科学的先駆性というものは、例え時の政策に反するが故に無視されようとも、歴史の進歩のなかでは、その正しさが実証され取り入れざるを得ないものだということを示している。
 西山夘三はそういう人だったのである。偉大な先生の下で学べた幸せを充分に生かしていないことを再認識させられたものである。

<NPO西山記念文庫>
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