レター33号(2006.9.01)

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第3号 (1999.03)
第2号(1998.12)
創刊号(1998.09)

ここでは一部を掲載しています。

<2006年春季 第18回 すまい・まちづくりフォーラム関西21>

地域性・公共性・集住デザイン
−都市居住の新しい可能性を拓く−

パネリスト 竹原 義二(建築家/大阪市立大学大学院生活科学研究科教授)
江川 直樹(建築家・都市デザイナー/関西大学工学部建築学科教授)
コーディネーター 檜谷美恵子(大阪市立大学大学院生活科学研究科助教授)


 第18回西山文庫主催のフォーラムが「地域・公共性・集住デザイン―都市居住の新しい可能性を拓く―」と題して、2006年6月10日(土曜日)の午後、梅田スカイビルタワーウエスト22階の会議室で開催されました。学生や研究者、設計事務所や行政の方など、140名近くの参加がありました。はじめに、お二人のパネリストからご講演をいただき、その後の討論では、フロアーからのご意見も交えながら、活発な議論が展開されました。以下では、前半のお二人のご講演を中心に、内容を紹介します。

■趣旨説明(檜谷)
 今日は、集住性、公共性、地域性というキーワードを手がかりに、第一線でご活躍の建築家、都市デザイナーで、プロフェッサー・アーキテクトでもある竹原先生、江川先生に、これからの都市居住の未来を切り拓いていく住まいのデザインについてお話いただきます。
 都市は人が集まって住まう空間ですが、いま、その住まい方、居住の単位が大きく変わろうとしています。生活単位の個人化、そうして人口の高齢化がすすんでいます。そのような状況のなかで、集住性をどう解釈し、デザインすればよいのか。これが第1のポイントです。住まいは、まちをつくっていく大切な要素ですが、同時に、個々の生活者の私的空間でもあるわけです。その2つの視点がどのように調整されていくのかが問われています。これは公共性というキーワードと結びつく課題ですけれども、今日は、狭い意味での公共性、つまり住まいづくりにおけるパブリックセクターの役割についても考えたいと思います。お二人のパネリストはともに、公共住宅の設計や改修に携わっておられ、江川先生は和歌山や芦屋で公営住宅プロジェクトを、竹原先生は千里で公社の賃貸住宅改修プロジェクトを手がけておられます。そのような経験をもとに、パブリックセクターが住まいのデザインという領域で、どのような役割、イニシアティブを発揮すべきなのかという問題にも触れていただきたいと思います。
 公共性というキーワードには、集住空間の構築方法に関する社会的な合意、都市計画とつながっていく課題があります。最近、高層のマンションが各地で林立し、建築紛争になってもいます。都市や建築のデザインに対する社会の合意がとれず、結果として、経済のロジックが優先され、それぞれの地域に固有の環境や風景が破壊されていくという現実があります。これに対抗できる集住デザインの公共性について、考えてみたいと思います。それは地域性というもう1つのキーワードとつながってきます。お二人の実践活動を通じて、地域性をどう捉えることができるのか、考えを深めたいと思います。

■講演1 竹原義二氏
 集合住宅には今どうしても考えておかなければいけない問題点がたくさんあると感じています。都心には超高層の集合住宅が建っています。タワーマンションの折り込みチラシに、安藤忠雄さんがそこで桜並木をつくろうとしている中ノ島の物件がありました。そのちらしは、開発の基本コンセプトは、居住・文化・情報発信・賑わいの創出である、とうたっています。建築は環境をつくろうとしていて、住まいをどうするのかという問題はどこにいったのか、と思います。
 最近、知的障害者の住まいの設計に取り組んでいます。そこで、重度の障害者がどういう住まいであれば自分らしく生活をしていけるか、健常者とどういう関わりを持っていけるかを考えています。タワーをつくり、より高く、天空へと向かう時代に、重度の障害者と一緒に、住まいをつくっていくという、地べたにへばりついていくような建築がある。終戦からわずか50年余りで、建築は超高層の時代に入っています。人間は超高層のタワーのマンションで本当に死ねるのでしょうか。自分の最終の行く末、どこで死ねるかということが今重要な問題になっていると感じています。
 同潤会の青山アパートは1927年にできています。先日安藤さんの表参道ヒルズを紹介した新建築の表紙の写真をみてびっくりしたのですが、表紙にケヤキの並木が写っています。この建物は超高層にならずに地面の底にストーンと落ちています。非常に建設のコストを上げながら、本当に人間は奈落の底にまでいかないとだめなのか、70年あまりで建築はこうも変わっていくのか、と考えてしまいました。
 振り返ると、1945年〜55年の集合住宅といえば、それはアパートです。懐かしい、においのするような時代です。この時代の建物はもう僕たちの時代にはなくなりました。それらがなくなって、きれいになっていった代償が隠されているように思います。この時代には前川さんの晴海台の集合住宅が生まれています。畳敷きのつながったものですが、これはつぶされてしまいました。それから51C型ができて、標準化という問題が生まれてきました。今、その標準化を打ち破ろうとしていますが、まだ破ることが出来ない。西山夘三先生が食寝分離と言ったために、壁をどう動かすかが重要な問題性を持つことになりました。
 60年代にモダンリビングが登場し、プライバシーが重視されます。3Cの時代、車や新しい電化製品が出てくる時代です。電化製品が開発され、日本全国が蛍光灯の中に埋もれていきます。「何のために作られたのかな」というものが住宅の中にどんどん入り込んできた時代です。そして、工業化の時代に入っていきます。この時、第2次マンションブームがおこります。長谷川工務店の集合住宅ができ、日照権の問題が論議されます。他方、80年〜84年にはコーポラティブハウスが生まれてきます。これは脱標準化を試みたものですが、その行方は少し危うくなっています。
 これが51C型の平面です。風呂はありませんが食寝分離は出来ています。寝るところ、食べるところ、台所です。建具の動き方が重要です。北側に窓が開いています。少し寒そうな感じがしますが、二方向に窓が開いている。こういう住宅で構成された4階から5階建ての集合住宅が量産化され、標準化していきます。この標準化された住宅タイプをどうするかが、これからの住宅の行方を示していくような気がします。
 1997年に、千里ニュータウンで、建てられてから30年ほど経過した住宅を、ストックとして活用するためのリフォーム事業をやりました。45uくらいの大きさの住戸で構成された建物で、外壁の躯体やサッシなどの外回りはいっさい触らずに、中だけをリフォームしました。既存のものをうまく利用しながら、現代という時代に合うスタイルに変えていく、という試みです。リフォームではさまざまなスタイルを提案しました。回転扉が動いて部屋が2室つながったりする間取りをつくりました。対角線上にいろいろなものが見えるように柱をわざと付けて、それをうまく利用しながら、内部の空間を作りこんでいく。こうして、はじめはすべて同じであったプランを、17通りの異なるプランに変えました。
 一つ、例を紹介します。リフォーム前の住まいです。階段を上がっていき、ドアを開けると、ここにキッチンがあって、建具があります。部屋が一室と、ここに隣と続く部屋があります。ここは襖で二つに区切られています。2DKになるかならないか程度の大きさです。冷蔵庫を置く場所が小さい。お風呂は自前でつくられていて、ユニットになっていません。湯沸かし器はここで、洗面所では温水がでません。この住宅ができるとき、画期的なことなのですが、ステンレス製の流し台が出来ています。
 当初のプランを、リフォームでこういうプランに変えました。鉄骨の軸組みの床が組まれていたので、その床を移させてもらいました。この床から少しだけ落ちたところに土間がある。押入れはここにあります。土間がずっと続いていて、この壁はそのまま残っています。キッチンやお風呂を新しくしました。人を通りやすくするため、洗面器の取り付け方を変えました。木造の柱を立てることによって、一室空間にしながら、建具を動かすことによって部屋を変えていくという仕掛けをつくりました。
 集合住宅が高層建築になる少し前の1989年に、山本理顕さんがつくった保田窪の団地では、一つの部屋から渡り廊下を通って別の棟に行くという提案がありました。これは、中庭をもった集合住宅です。こういう新しい提案がどこかで切られてしまっています。新しい提案をしても誰もがうまく使えないのでやめる、というのです。
 2000年には岐阜県の北方ハイタウンで妹島さんが公営住宅をつくっています。片側廊下で各住戸に入っていくプランですが、ここでは家族と社会との関係性という視点を取り入れた住まいのあり方を考えています。また、山本理顕さんらも東雲で、新しい集合住宅を提案しています。住宅側でしていることを集合住宅の中で提案している。たとえば、集合住宅の扉を、透明のガラスにしています。そうすると、内部と外部がつながれる。鉄の扉をガラスにするというだけで、内部と外部がつながったような感覚が生まれます。家族4人で住むという設定ではなく、ここでは一人や二人で暮らすことが想定されている。オフィスで仕事をすることもできる。集合住宅がもう住むためだけの空間ではなく、違ったことを展開する場になると考えているのです。
 大阪では、こういうタワーが建っています。エレベータでずっとあがって、上で生活をして、何かあると降りてくるということを繰り返す。途中の階で止まるということはありません。誰がどこに住んでいるということはもういっさい関係がありません。自分の家と目的の場所だけを往復する。中ノ島の桜並木を通り抜けるのではなく、上から見下ろすのです。こういうタワーが都市をつくるという。51C型の45uと比べると、倍の大きさの100u前後のプランが標準化されています。今までは、毎日、「おはようございます」と挨拶しながら掃除をして、緑がすぐそばにあって、土に接して、落ち葉が落ちるのを感じ取りながら生活していた。それが遥か遠くを見て生活するというのです。近くは全然見なくなる。下を見ると恐いから、遠くを見ています。
 終の棲家というチラシが入っています。終末ケアのサービスが完備されたマンションです。場所は、服部緑地のすぐ近くで、緑がたくさんあります。建物の内部をみると、最後にいくところは18uくらいの小さな部屋です。51C型の45uにはじまり、最後は18uで死ななければいけない。介護だけでなく人生をサポートするというトータルサービスがあるそうです。こういうチラシをみると、生きることをやめたくなります。情けない時代になっています。
 これからどんどんと家が余り、朽ちていこうとしています。ドムス香里は低層の集合住宅で、賃貸と分譲があります。写真は賃貸のほうですが、緑の中に埋もれているような佇まいです。ここに入っている人がすごく楽しく生活しています。低層なので隣の人と交流しやすいようです。そういう住宅がまだ健在なのをみて、安心もしたし、なかなかすてたもんじゃない、とも思いました。デンマークでもこういうものが作られている。ドムス香里をつくったときというのは、連続していく低層住宅が流行った時代です。
 経済の論理でいくとリフォームでは十分な利益がでません。潰して建てたほうが、経済効果が高い。あったものを壊す。もとからいた人には出て行ってもらう。新しい建物が建つ。町が壊されていく。誰も代替案を提案しないために多くの問題が起こっています。
 人々はいま、狭い部屋で大型画面のテレビをみている。いろいろよくなってキレイになったといわれていますが、実は住まいは豊かになっていない、という問題が隠されています。
 小さくてもよくできるという自信はあります。しかし、それをやって欲しいという人が出てこない。新しい建物が出来ることで住まいが変わっていけばいいのですけれど、変わらない。そこにデザインの難しさ、問題の複雑さがあると考えています。(拍手)

■講演2 江川直樹氏
 私は、いろんなタイプのいろんな住まい方が混在している集合住宅は1つのまちで、まちそのものが集合住宅だと考えています。
 奈良県の大和郡山市に稗田という非常に美しい集落があります。環濠集落です。稗田阿礼という人を祭っている神社がこの集落の中にあります。こちらは戦後計画的につくられた団地で、日照や道路の通行量と車の幅の関係といった一元的な価値基準でできています。美しくないし、歩いても楽しくない。それに対して、この集落は訪れてみるとワクワクする。この先に何があるのだろう。行ってみたい。人々が濃密な空間の中で住んでいて、地域性や場所性がいっぱいあります。
 私はこれが集合住宅だと思っています。いろんな大きさの様々な建物がある。そしていろんな空間がある。建物がただ並んでいるだけですが、この集落にはいろんな人が住んでいて、いろんな役割を担いながらみんなで住んでいる。そこに意味があって、終の棲家として優れているのはこっちではないかと思います。
 芦屋市の若宮という場所には、接道していない住宅がいっぱいありました。そこが阪神淡路大震災で被害を受けた。全壊が全部で151戸。261戸あった住宅の60%ほどです。半壊が26%、一部損壊が11%で、合計すると95%の住宅が壊れてしまいました。
 そのまちをどう再生していくかというプロジェクトに取り組みました。被災率が非常に高かったので、芦屋市は当初、オープンスペースのたくさんある集合住宅を建設する復興プランを住民に提案しました。しかし、住民の人はこの案には大反対でした。
 次に、震災前、戸建に住んでいた人、アパートや文化住宅に住んでいた人、自力再建ができない人で住み分け、街区ごとに違う「まち」をつくるという提案がありました。この提案にも住民の人たちは納得しませんでした。そして、自分たちが求めているまちはこういうまちだという案をつくるため、まちづくり協議会を結成しました。そのまちづくりコンサルタントが後藤さんです。もとのまちは、防災上の問題があったり、空気の通りが悪かったり、視界の抜けが悪かったりしていました。僕たちは、そういう問題を解決しながら普通のまちに戻していこうと考えました。
 壊れた家にだけ手をつける。街区でまとめるという方向ではなく、少しまとまった土地ができるとそれを使って、戸建と集合住宅が混じった街区をつくる。小さな住宅と隙間をつくる。建物の中を抜けていく路地ですね。道路にするなら幅員6Mを確保するといったルールがありますが、建築の空間であれば、壁と壁で挟まれた2Mの空間だって出来てしまう。それを、建築の中の空間にしないで、まちの空間にする。そうすれば昔あった路地も残せる。それを芦屋市に提案しました。
 このプロジェクトでは、やりながら考えていかなければいけないので、最初に全部の絵は描けません。最終的に集合住宅が全部で96戸、まちのなかに分散してできました。毎年少しずつ、周りの状況を見ながら敷地を決めて建てていきました。まちも復興してくるし、集合住宅も出来てくる。そんな形でまち全体が復興するというプロジェクトでした。
 方針として、もともとのまちにあった一番大きな家くらいの単位よりも大きなものはつくらない、ということを提案しました。大きな集合住宅をひとつ、ボーンとつくるのではなく、分解して隙間をつくる。建物をずらすとボリュームが連続して見えず、小ぶりのスケール感が出ます。先ほどの稗田では、建物があっち向いたりこっち向いたりしていますが、微妙にずれているというのがなかなか有効に利くのです。
 阪神間の住宅地になぜ人気があるかというと六甲山が見えるからです。六甲山が見えるということで、同じところに住んでいるという感覚が生まれます。このまちに住む以上、六甲山が見えることはとっても重要なことです。まちの中を風が抜けていくことも大事です。人が通り抜けられるだけでなく、六甲山が見えたり風が通り抜けたりする。曖昧な空間をいっぱいつくって、どこからどこまでが公営住宅の敷地かわからないようにしています。私の空間と公共の空間が重層的になっているのです。曖昧な空間をいっぱいつくるというのは実際には難しいことですが、こういうプロジェクトで、みんなでやったから出来たのかな、という気もします。このくらい小さいと、道を挟んだ両側で、一番気持ちが良い空間が出来ています。
 周囲はだいたい2階建てから3階建てですから、それをうまく連続させていって断絶が起こらないように、やさしいつくり方をしてみました。いろんな制約条件がありましたが、ひょうきんさとか、柔らかさ、小さなスケールを混ぜながら、馴染むようにつくる、そういうことを試みました。こうして出来上がったまちは、震災で全部が壊れたまちのようには見えません。敷地に対して、ここは平行ですけれども、ここはずれています。セットバックすることで戸建との馴染みが良くなり、この連続感がでてくるのです。4階建ては、このまちではかなり大きいですから、そのボリューム感が通りを歩いているときにでしゃばらないようにするにはどうすれば良いかということを、配置図の模型をつくって考えています。セットバックし、軸をずらせると、戸建のまち並みが続いているかのようにみえます。これがこのまちでやろうと思ったことです。
 集落を調査していると、細い道があって、正面に蔵があって、この道は行き止まりかなと思って行くとちょっとずれて行ける。「当て曲げ」という手法です。他所から来た人にはわかりにくいのですけれども、住んでいる人にはよくわかる。だから、安心して住める。そういう空間的な仕掛けを新しくつくる、あるいは再生するときにうまく活かしていくことが重要です。空間の配置を設計するということが、建築家のもうひとつの非常に大きな仕事なのではないかと思います。
 ここでは同じようなスケール、原理で出来ているけれども形は一つずつ違う。その場所によって微妙に違っています。そういうのを見ていくうちに、ここが私たちのまちだ、と共感できる。また、色を塗りわけ材料をかえて、小さな家々が集積している感じを出そうとしています。似たようなディテールですが、一つとして同じものはありません。親水性という言葉がありますが、親空性や親街路性もあります。巨大な四角い箱が平行にあるだけだったら、こういう風に空が複雑に見えない。空が複雑に大きく見えたとき、連続感がでます。
 私たちの提案は、周りの家と同じような規模にしよう、そして、間の空間、こことここの空間は明らかに違うということを意識しよう、ということです。小さな場所性を積み重ね、織り込んでいく。敷地の中で、この道をどうつくり、この路地をどうつくって、この間をどうするかを考える。
 御坊のプロジェクトでは、ワークショップで一人ひとりの住民の話を聞きましたから、プランは全部違っています。住んでいる人の住まい像、暮らし方がありますが、それとあわせて、あなたのうちから何が見えますか、どのように見えますか、だったらバルコニーをどうしましょう、窓をどうしましょう、ということを話しながらつくっていく。そうすると、住宅をつくる人も一つのまちに、みんなで住んでくことがわかってきます。
 空間をつなげていくというそういう視点で話をさせていただきました。どうもありがとうございました。(拍手)

■まとめ(檜谷)
 しばらく前まで、公共住宅のプロジェクトはモデル的な住まい、まちづくりで、一定の役割をはたしてきました。江川先生が大阪で代表を務めておられる現代計画研究所は、そのなかで一貫して地域性にこだわった質の高い集合住宅をつくってこられましたし、今日、竹原先生からもご紹介いただいたように、公共住宅の計画や設計には第一線でご活躍の建築家がたくさんかかわっておられます。
 ところが過去10年余りの間、公共住宅政策は大きく後退し、市場の役割が強調されるようになっています。民間で十分にいいものができるので、公営住宅はセーフティネット機能だけでよいというのです。こうした議論の背景には、公共部門にお金がないというだけでなく、住宅市場の機能や住まい手の側の住要求、ライフスタイルの変化があります。ただ、市場で自然によいものがつくられ、悪いものが淘汰されていくわけではありません。公共部門が常によいものをつくってきたわけではありませんが、それは民間についてもいえることです。
 今日、竹原先生は「住まい」をどう構想するのか、という問題を提起されました。江川先生は、集まって住むかたちを構想し、デザインするとは「まち」をつくることであり、まちを構想するという発想の重要性を強調されました。
建築のデザインや景観問題に対する社会の関心はかつてよりも高まっていますが、「地域性」や「風景」という言葉は、個々の具体的な地域社会における「公共性」の問題に関心を向けさせる潜在力をもっていると思います。
 お二人のお話は、都市居住空間の質がわたしたちの生活の質と強く結びついていることを示唆していたように思います。建築家が、都市や住まいの現在のみならず未来を考えながら、また、住まい手とコラボレートしながら、都市の集住空間をデザインすれば、魅力的な空間ができる。そうした仕組みを構築するパブリックセクターの役割を再認識するとともに、それをコントロールする市民社会の成熟化に向け、住まいやまちづくり学習の場が重要との思いを強くしました。
(まとめ:檜谷美恵子)


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