ここでは一部を掲載しています。
本とデータベースのあいだに
植田 実(住まいの図書館出版局編集長)記念シンポジウムの記録
20世紀のすまい・まちづくりの知的遺産をいかに残すか

本とデータベースのあいだに
植田 実(住まいの図書館出版局編集長)
直接お目にかかったのはほんの数回、あとは著作を通してだけですから、私にとっての西山夘三は、あくまで本なのです。とくに、『日本のすまい』全3巻は身近に置いて繰り返し見ているわけですが、なかでも多くの挿図は驚くべきいや信じ難いものです。だから何度見直しても新しい。
今回のパネル展示と講演は、西山先生の手によるこうした記録が、本という束ねから外されてどれも楽しくデータベースの1コマ1コマとして見えてくることが私には初めての体験でした。先生の本のなかですでに見ている絵や図面も、全く別のもののような印象を受けました。
そして写真。この存在については私はほとんど知らなかったので、その1カット1カットを講師の松本滋さんが大きく拡大して紹介されるたびに、名状し難い感慨に襲われました。先生が早くからカメラ狂(?)であったのは、私たちにとってなんという幸運だったことか。対象とするテーマが明確であり悉皆的な撮影意志に貫かれていたために、なんという貴重な財産が残されれたことか。とくに、戦前から戦後直後における町家、不良住宅、木賃アパート、文化住宅、炭鉱住宅、寄宿舎、寮、戦災バラック、応急住宅、転用住宅、ドヤ、等々の記録は、どれほど貪婪なプロの写真家も及びもつかないものでしょう。当時から現在にいたるカメラアイが都市や人間のどんな細部までも、ある場合にはおぞましく悲惨な局面までも見極めつくそうとする衝動から、逃れている部分。つまり写真のテーマには成りえない部分。それは「すまい」としか呼びようのないものかもしれませんが、それを撮り続けたのが先生だと思うのです。
ある意味では、明治末期から昭和初期にかけての日本を着色写真で紹介したバートン・ホームズの仕事や、終戦後の日本を思いもかけない鮮明なカラー写真で公式記録していたジェターノ・フェーレイスの仕事が、突如写真集となって出現したときの驚きにそれは似ているかも知れません。けれどもそこではどのシーンもいわば見えを切っている。一瞬で勝負が決まる、目撃であり観光でさえある。それに対して、西山先生が見ているのは生活、つまり私達の現在にも届いている時間です。私たちはこういう時間を丸ごと生きてきたのでした。その手触りや匂いがドッと逆流してきたのです。
展示パネルのあいだを一巡し、講演を聴きながらあまりにもいろいろな思いにとらわれて、個々の具体的なことは記憶しているとはいえないし、メモも追いつかない始末でしたが、これを機にまとめられた『西山夘三とその時代』は超図録ともいうべき出来栄えで、展示と講演の記録というより、まさにデータベースです。そのことがはっきりするのは、この冊子の後半部分を占める「文庫所蔵資料改題」と「文庫活動の紹介」によります。ここに注がれている関係者のエネルギーと、そこから立ち上がってくるゴジラのような(失礼!)一研究者の巨大な姿には圧倒されてしまいます。
ここにぎっしりと詰め込まれている写真は、だからやや副次的な資料にも思え、講演に参加しなかった人にはその威力は多少弱められて見えるかも知れない。それに何よりもこれが西山夘三の本というべきイメージから遠いのは(あくまでデータベースであることを伝えるには成功しているわけですが)、やはり当の写真によってであると思うのです。
いいかえれば『西山夘三とその時代』は、改めて西山夘三の本という、かっちりと束ねられた世界について思いをめぐらせる機会を与えてくれます。膨大な数の写真は一点たりとも先生のどの本のなかにも使われていない。加えて、そこに引用されている他の図版資料―洛中洛外屏風から現在住宅の竣工写真までもが、すべて先生自身の手で模写されたようで本にとりこまれています。それはまずは版権をクリアする手っとり早い方法であるともいえますが、それ以上にすべての図版を「西山夘三の絵」にしてしまう、独自の描写力こそが重要で、なぜならそれによって、先生の全著作が、研究や論集を超えた、完結的かつ完成度の高い「本」になっているからです。
その原点は、絵物語本への憧憬にあるような気がします。『あヽ楼台の花に酔う』にその典型を見るのですが、私はどうしても前川千帆の漫画を思い出してしまう。また中学生時代の「漫画研究ノート」は麻生豊のキャラクター分析といっていい。高校生時代の絵物語本には、宮尾しげるや中島菊之助の影響も及んでいるようです。つまり、先生の漫画的人物描写には明治期から昭和初期までの、絵画と漫画が現在のように分業化しなかった時代の、文人画の流れをくむ、ある格調と諧謔がゆるぎなく守られている。この文脈には、岡本一平から田河水泡、大城のぼるまでが位置づけられるわけですが、今は漫画家とされているこれらの作家達は、たとえば水泡が「のらくろ」シリーズで時代の人気漫画家であったと同時に前衛的な抽象画家であったように、誰もが半ば画家として活躍していました。一方、画家として歴史に残る作家達もけっこう面白い漫画をものしているわけです。
だから、漫画に新しい映像的な表現を創り出し、絵画からのいわば分離派を形成した手塚治虫以降における漫画の範疇と、西山先生の絵は関係が薄いようです。なんといっても手塚は先生より十五年若い世代です。こまかな話をしはじめると限りがないので、このようにやや図式的にまとめておきますが、もうひとつ欠かせないことは、先生の絵物語は絵空事ではなく、といって観察による描写だけでもなく、くわしくはよく知られないのですが、記憶の再現による場合があるということです。この特別な能力は、時折、選ばれた人にだけ授けられるようです。現在の漫画家ではなんといっても滝田ゆうが知られていますが、最近は、花輪和一が克明な『刑務所の中』の記憶再現をまとめて彼の読者を驚かせました。
つまり、「文庫所蔵資料改題」で知る無尽蔵の「集められた」ものは先生の記憶再現の底知れない能力と重なって見えるのです。しかし、先生が自らまとめられた著作は、建築分野では類例のないほど純化した「本」となって私達の手に残されている。今は、まだ外に対して形をなしていないままの先生の頭脳をどのような方法で受け継ぎ、また世に問うていくかが、関係者の方々の課題なのでしょう。
「文庫活動の足跡」によれば、「残された資料から分かったことは、西山先生は受け取ったり手に入れた資料はまったく『捨てない人』であるということであった」と。それはアンディ・ウォーホルの「タイムカプセル」を連想させます。また最近評判になった「『捨てる』思想」、それに対して立花隆が痛烈な批判を加えたことなどからうかがえる、きわめて今日的な文化の問題にも連動しています。
今回の東京講演は、先に触れたようにきわめて刺激的なものでしたが、時間切れの感があり、吉田あこさんの示唆に富んだお話はあまりにも短時間で終わらざるを得ず、といってその前の松本さんの映像解説も時間的には十分とはいえず、結局講演とは一般的に二時間という常識を破るほどの時間割も必要だったようです。それは展示も同じことで、調査・研究のエネルギーが迫る展示パネルには圧倒されましたが、やはり原画を見る機会がほしい。それは印刷原稿として描かれたにすぎない「鉄腕アトム」の原画一枚が、どれほど手塚治虫観を根底から変えるか、その一例を考えただけでも十分です。
メディアの形式に終始して、肝心の内容自体にはまるで触れる余地がありませんでした。編集者にとってそれは即、本の刊行を考えることにつながります。で、住まいの図書館出版局は積水ハウスの関連会社ですし、「住まい学大系」も第100巻に到達して一段落したというところだし、私としては今度は西山夘三集大成の編集を夢見るのも自然でしょう。目標はもちろん、常識を破って全100巻。
記念シンポジウムの記録
20世紀のすまい・まちづくりの知的遺産をいかに残すか
第一部 講 演 T 広原盛明
講 演 U 藤森照信
第ニ部 シンポジウム
コーディネーター 藤森照信
パネラー 黒石いずみ 藤井敏信 安藤元夫
司 会【中島明子】(和洋女子大学教授)
東京での開催が成功するかどうか大変心配でしたが、沢山の方々が参加くださり大変喜んでいます。開会にあたり、当文庫の副理事長の吉田あこ先生よりご挨拶をいただきます。
挨 拶【吉田あこ】(実践女子大学教授)
西山先生についてのエピソードをひとつご紹介させていただきます(内容はP.12に掲載)。
本日のテーマは知的遺産の残し方を中心にしますが、今先生、吉阪先生の遺産の保存にもかかわっておられる方々をパネリストに迎えて実りあるものになることを期待しています。
第一部 講 演
「すまい・まちづくりのアーカイブス NPO法人西山記念文庫の試み」
【広原盛明】(文庫理事長)
西山先生が亡くなられてから、その膨大な資料の整理と保存活用に向けて6年余の努力を積み重ねてきました。これは西山研という一研究室の営みではなく、もっと広く普遍性をもつものだと確信しています。即ち、我国の建築学の発展に大きい足跡を残した研究資料をいかに系統的に収集・保管・公開するかという、西山先生自身が生前心に留めながらも実現できなかったことを、この文庫活動によって端緒が切り開かれ、その課題を現実問題として検討できる条件ができたからです。
建築計画学は建築学のなかでは比較的新しく、戦後発展してきた分野だと思います。これにともない研究者の世代も大きくみれば3つぐらいに区分できると思います。第1世代は、草創期ともいうべき世代で、西山先生の他に今先生、吉阪先生、佐々木先生、吉武先生などがおられますが、多くの方が最近亡くなっておられます。第2世代はその先生方のお弟子さん達で、大学等では定年前後という方々です。そしてその後の世代を第3世代といえると思います。知的遺産の継承という点でみれば、第2世代の人々の資料はまだ残っているが、第1世代の人々のものが急速に失われつつあるといえるのではないでしょうか。
この世代の研究資料を如何に残していくかということになるのですが、いくつかの方法があると思います。その一つは大学図書館に残すということです。これがベストですが、人手不足・スペース難で困難な状況です。2つ目は自治体等の図書館等での保存ですが、これは、その個人が自治体と特別な関係にあるとか、よほど有名な人でもないと実現しません。3つ目は、新設大学が大学設置基準に合う蔵書数の確保ということで引き取るケースもあります。これは韓国や台湾等では盛んなようですが、これでは日本人の目に止まるわけにはいきません。4つ目は古本屋さん等に引き取られていくケースで、これがほとんどで、大半のものは捨てられてしまいます。
では、このような状況の下で、どうして西山先生の資料が保存できたかという理由は次のようになります。1つは、資料の価値が極めて高いということです。先生の資料は本が中心ではなく、先生自身が作られたり、独自に収集されたオリジナルな資料が中心です。作図されたものからスケッチまで図面(絵)が多いのも特徴的です。2つ目は、先生が長くお勤めになった京都大学をはじめ自宅等が戦災を免がれたということです。3つ目は、西山研の弟子達の熱意です。先生に対する敬愛の思いがその基礎にあると思います。4つ目には全国の支援です。先生の資料を保存していくことへの支援・期待は、一研究室の範囲をはるかに超えるものがありました。基金として1300万円余の浄財が全国から寄せられました。5つ目には積水ハウスさんの協力です。研究所1階と地階の貴重なフロアーの一部を無償で提供していただいたわけです。
最後に、今後に向けた活動と課題を述べます。活動の継続体制を整備し、文庫があらゆる面で自立していくためにミュージアム活動を一層活発にすることです。公開シンポとか若手の学校の開催等を始めていますが、こうした活動をもっと活発にするつもりです。更には単なる資料の保存に止まるものではなく、その上に西山先生の築いてきた学問を更に発展させた研究活動を展開することです。
なお、こうした資料を保存していくためには、それを支援する社会的体制の整備を心から願っています。例えば、法人化されない状況下でも税制面での優遇処置、学会等での組織的な保存活動や体制の整備、科学研究費の配分等による文部省の支援体制の整備を格段に高めることなどです。
「近過去の歴史資料保存の意義と課題」
【藤森照信】(東京大学生産技術研究所教授)
私は近代の建築史をやっています。その関係でここに呼ばれたものと思います。
私は西山さんに、そんなに何度もお話しをしたことはありませんが、2回インタビューをしました。その時に、西山さんに是非聞いてみたいことが2点ありました。1つは、西山さんは何でも記録される方で、その点では今和次郎さんに似ていますが、それにどんな学術的な意味があるのかということでした。お答えは「今さんのように記録するやり方はもともとは好きである。しかし、あれでは学問にならないので、それをおさえるのが学者としての自分の課題であった」ということだったと思います。2点目は、あれ程のマルキスト西山さんでも一時期右翼化した時があった。それは何故ですかと尋ねたわけです。その時の答えは、「ついくらくらした」ということでした。多分、真珠湾攻撃によるのではないかと思います。丹下さん、前川さんなどの建築家もこれでくらくらしたわけですから…。
さて、私のやっている近過去について、なぜ最近になって注目が注がれるようになってきたかということです。これまで、過去といえば、奈良、京都といった大過去というか古い昔が中心だったわけです。それぞれには時代のロマンがあったからだと思いますが、ここ20年ぐらいから、大過去から近過去へと人々の興味が向うになっています。始めた頃は異端扱いでしたから、西山・今・吉阪さん等の少し前に亡くなった人々の資料が保存されるようになってきたというのも信じられないことです。これまでは一世代毎にその前の世代を捨てるのが一般的でした。古い世代の先生方の言ったことが、直ぐに役立たなくなっていったからです。それは、先生方の研究のネタが主に外国にあったからだと思います。
近過去が注目されるようになったのは何故でしょうか?その1つは、未来が極めて不透明になってきていることと関係していると思います。この現状から明るい未来をどう切り開くかということを考える時に、力強く歩いてきた近過去に1つのヒントがあるのではないかと考え始めてきたわけです。もう1つの理由は、近過去の先達は、今さん、吉阪さんにしても西山さんにしても外国から学ぶのが中心でなく自分のなかから考えていった人々です。西山さんの食寝分離論にしてもnDKの提案にしても、外国からの借り物ではない。この時代になって、初めて私たちは借り物ではない、自分のなかから考えていく先輩をもつことができたのです。ヨーロッパでは、地に足をつけ、借り物ではない自分たちのなかで考える長い歴史があるわけですが、日本は近過去せいぜい50年ぐらいというわけです。
最後に、私の個人としての西山さんと文庫への興味のようなことを述べておきます。その1つは、西山さんのように大きい仕事をした方も、人間的というか、我々と似ているのだという点です。例えば食寝分離論を出される前には大きい動揺がみられます。2つ目は、理論というものはストレートには出てこない、迷いながらあれこれやりながら、そのなかから理論が生れてくるということです。今さんは好奇心のままにやったが西山さんはそこから離れようとするなかで(計画)科学を志向したと思います。3つ目は、実証主義の近代科学は必ず行き詰まりますが、その時に西山さん今さん達の歩みをみると勇気づけられるということです。悩みながら切り開いく創造力があるということです。実証主義の行きづまりというのは、例えば構造学をみて下さい。神戸の地震で建物は倒れなかった、だからもう構造学(耐震構造学)といったものは不要でないか…。本当にそう思うわけで、実証主義では行き詰まるのです。
計画学の近過去には、悩みながら切り開いていく創造力があります。大過去ともなると、結果だけで、それを生み出していった過程がわからない。そうした過程がわかるという意味で、生きた資料の保存が極めて大切なものではないかと思っています。
第ニ部 パネルディスカッション
「すまい・まちづくりアーカイブスの可能性」
【藤森】3人のパネリストからご報告をお願いします。まず黒石さんから今和次郎先生について、次いで藤井さんから吉阪隆正先生について、最後に安藤さんから西山夘三先生についてお願いします。
【黒石いずみ】私は建築デザインに興味があり、建築理論の勉強のためにアメリカにも行ったりしましたが、そこで自分の足元、日本を見たくなりました。そんな時に今先生の「建築は基礎としての文化を理解しようとしない」という指摘にひかれ、以来、私を含めて直接の弟子ではない6人のボランティアで今コレクションをやっています。
西山コレクションと比べると、西山先生より25年程前からの活動なので時代背景の違いがあります。2つ目は、建築以外のもの、染色なども広く学習し展開していたことです。3つ目は西山先生との接点としては同潤会や東北農村調査や建築運動等があった。4つ目は、社会的に残すことを意図して仕事をしていない、日付が余りないわけです。5つ目は日記が存在しないということです。今先生の資料の特徴は、第1は文字とスケッチが混在し、ディテールや造形へのこだわりが強いことです。第2にはスケッチが装飾的で、見る人を意識して描かれています。第3には、外国語の文献や英語で書かれた資料も少なくありません。国際的視界の人だったと思います。
最後に、建築が近代化のなかで落としてきたような各学問の〈間〉を読むことの大切さを訴えていきたい。それと共に、現在は工学院大学の図書館に所蔵されていますが、死蔵させずに資料を外に出し、人々の色々な読み込みができるようにしたいと思っています。
【藤森】では次に藤井さんから吉阪隆正さんについて語っていただきます。
【藤井敏信】吉阪先生は、西山・今先生と違い現役の時に亡くなり、切り口がなかなか見えないといった特徴があります。
私たちがまずやったことは吉阪隆正全集の発刊です。そのなかで、吉阪先生とはどんな人だったのかということが問題になり、そこがスタートとなって事業が進みました。まず仕事の面ですが、吉阪は第1に建築家でありました。セミナーハウスをはじめ著名な建築作品を手がけています。第2には住居学者でありました。住居を文化やエコロジー等の広い視野で捉えています。第3には都市計画家でもありました。特に1962年に早大に都市計画研究室ができた時そこの教授として都市計画へと大きく踏み出しています。吉阪先生は仕事の面からみるといろんな分野に手を出してきた人だといえます。人柄の面からみると教育者としては、怒ると大変こわい人でしたが普段は居心地の良い先生でした。また登山家としても知られていて早大登山会の会長も勤められました。また今先生の弟子であり、コルビジェの弟子でもありました。
こうした吉阪先生の残されたものを全集としてまとめたわけです。基金も少々集ったので編集委員会を作り、内容を「住生活」「造形」「集って住む」「遊び」の4分野に区分し計17巻の全集としてまとめました。建築作品はまだ世に出せていませんが、スケッチは鈴木先生を中心にまとめている最中だと思います。
今後の課題としては、全集は出したが、資料はどうするかということです。吉阪邸の6畳1室に保存してあるというか、先生のご家庭の方にまかせてしまっているわけです。この点については私たちとしては手つかずの状況にあります。都市計画関係の先生のお仕事についてはまだまとめてもおりませんし、大変大きい課題を残したままになっています。
【藤森】ありがとうございました。では安藤さん、お願いします。
【安藤元夫】今回の展覧会のねらいは西山夘三という希代の研究者の大きさを言葉で述べるのではなく、西山の仕事・研究そのもので丸ごと表現することでした。常に時代と対峙し展開した研究内容、自分と家族をモデルにした『住み方の記』、中・高校生時代の小説・漫画、『安治川物語』等の著作、ライフワークとしての『日本のすまい』の全体像、それらをビジュアルに表現し、現役研究者への激励と奮起、若い世代の方にはめざすべき研究者像を探っていただきたいと思いました。
また、それを通じて近・現代の原資料の蓄積と継承の重要性、ミュージアム、アーカイブスの必要性を感じていただきたかった。
現在、研究資料のほとんどは研究者一代のものとして終わっています。今後文庫は西山個人の資料だけでなく、増殖するミュージアムという方針を考えています。しかし、手弁当的ボランティアによる継承だけでは限界があります。ミュージアムは近年多様な広がりをみせています。かつての美術館、博物館から文学、写真、漫画、研究等。西山文庫の将来は、NPO法人と自治体または大学や企業と共に恒久的なミュージアム(アーカイブス)をめざす必要があります。収集資料は、@すまい・まちづくりに関する一次資料、A国、自治体の政策資料、Bすまい・まちづくり事業・活動・運動に関するものなどで、研究者、学生、市民にとって一大宝庫となるでしょう。
西山夘三は、住み方調査を通して住宅、計画学を科学にした創始者です。そう考えると文庫の取り組みは、まだ草創期の段階です。しかし、一方私達がつい何年か前のことだったと思っていることが学生にとっては歴史的事実でもあります。ミュージアム(アーカイブス)の意義は、明確であり、実現できる展望も十分であるといえるでしょう。
<ディスカッション>
【藤森】お三方にお尋ねしますが、三先生とも何故母校で保存されなかったのでしょう?
【藤井】早大では場(空間)がないといわれました。近過去は注目されてはいるのですが…。
【安藤】京大のなかでは西山研の跡を残さないという風潮があるらしい…。最近、文学部では資料館もつくられていますが。
【黒石】早大では「ちょっと…」といわれた。弟子の竹内先生から伊藤ていじ氏を介して工学院大で保管されることになりました。著作権は今も息子さんがもっておられます。
【安藤】西山先生の場合は、家族のご理解で著作権は全て文庫にあります。
【藤森】私は基本的には各大学の建築学科で所蔵すべきだと思いますが、今回の展覧会は、どうして実物を展示しなかったのですか?
【安藤】展示期間中の管理が難しいからです。レプリカはいくつかつくったのですが。
【藤森】3人の資料をみると古さを感じませんね。古いことだと思っている人々にどうやってそのことを説得しますか?
【黒石】現在のものに、おもしろい視点を与えてくれる新しさがある。海外にも広げたい。
【藤井】残った資料を家族にあずけてしまったのが気になっているが…。個展などを開くと若い人がきっと来てくれると思います。
【安藤】本人が残すことを希望していたし、京大には西山研の跡がなくなってしまうということで残そうということになった。
【藤森】基本的に保存は明るくなっています。近過去の保存もようやく始まったといえるでしょう。特に女性が注目しています。女性は物を残そうとする意識が強いからです。
(記録:中村攻、中島明子)
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