ここでは一部を掲載しています。
建築計画の研究について
吉武泰水(東京大学名誉教授、神戸芸術工科大学前学長)
第2回 夏の学校 2000

建築計画の研究について
吉武泰水(東京大学名誉教授、神戸芸術工科大学前学長)
私は、建築の世界に入り、建築計画の分野に進む間に、とくにふたりの先輩から大きな影響を受けました。高山英華先生と西山夘三先生です。高山先生は、高校の先輩でもありましたが、大学入学後はいつも身近にお会いすることが出来て、私は建築のことだけでなく、生活の態度やいかに生きるべきかというようなことまで、教えられるというより見習ってきたと思っています。一方、西山先生は、私にとってはじめから遠い方でしたし、ほとんどお会いすることもありませんでしたが、建築計画の研究を志して以後、急に大きな存在として現われ、発表された論文、論説、著書を通してきびしい刺激を受けました。ここではその辺の事情を説明したいと思います。
年譜によると西山先生は、早くから建築を志望し、京都大学に入られるとデザムを結成し、卒論として<住宅計画の科学的考察>をまとめ、卒業後も活発な研究、文筆活動を続けられました。2度の兵役の間を縫って1937年から41年の間に京大の<建築学研究>に発表された<都市住宅の建築学研究1〜5>は膨大な調査に基づく本格的研究でした。また著書として42年には『住宅間題』、44年には『国民住居論考』を出されています。
一方、私の方は先生の5才半年下で、父が建築家だつたので建築への関心は多少はありましたが、高校3年迄は医学、生物学を志望していました。しかし父の強い意向もあって、私としてはかなり大変なことでしたが進路を建築に変更しました。大学に入っても設計をやるほうに進むかどうか迷いましたが、卒業論文は<木造住宅の目張りが致死時間に及ぼす影響>という、屋内へのガス侵入に関する実験的戦時研究で、平山嵩(たかし)先生の下で、今でいう環境工学の研究でした。
卒業して大蔵省営繕管財局に入り、官庁建築の設計と関わり、3年後の1942年、大学に呼び戻されました。席は岸田先生の建築計画の講座だったので、改めて建築計画がどういう分野かを見直し、西山先生の大きな仕事に接したわけです。
当時は、建築計画という分野の業績は国の内外をしらべてみても、他にほとんどなく、まさに先生の独壇場という感じでした。とくに感銘を受けたのは、1941年の<住み方調査―千住緑町住宅調査報告>と、私の記憶では同じ頃の<住み方調査―三河島お花茶屋住宅調査報告>など一連の住み方調査で、「調査というものはここまで出来るのか?」と目を見張る感じでした。更に先生はこれらの研究に基づいて、社会的な批判、運動、政策まで論を進めておられ、私はそのエネルギッシュなことに驚かされ、建築計画をやるということが容易ならぬことであると思い知らされました。
私は戦時中ということもあって、差し当り空港計画をテーマに立地間題を扱ったり、方位や家族の型など住宅の周辺のことを手懸けたりして、ようやく都市住宅の調査にかかったのは1947年です。先生の『これからのすまい』が出て大評判になった年ですから、スタートが如何に遅かったかお分りいただけるでしょう。
しかし、49年年には鈴木成文君達の卒論で、川崎市の工員住宅調査を行い、戸数は少ないながら同じ平面型の住戸を通して小規模住居の住まい方の傾向を明らかにすることができました。その内容の発表は更におくれて、53年以降のことです。
なお1950年には、51年度国庫補助住宅鉄筋コンクリートアパートの標準設計にあたり、建設省主催の委員会に委員として出席し、12坪という最も規模の小さい51C型の原案を、上記研究の成果に基づいて提案したところ、思いがけずこれが採用され、久米建築事務所によって実施設計が行なわれ、51年度からその後まで、若干の変更を受けながらも全国に普及することになりました。この案では、西山先生が提唱されていた<食寝分離>と共に<2室就寝>が可能なように、台所で食事が出来るように考えましたが、これは後にダイニングキッチンと呼ばれて、これを設けることが小規模な公営住宅の平面型の主流となりました。
言い落としましたが、西山先生との最初の出会いは、どういう形であったか記憶が定かではありませんが、建築学会で市浦健先生を座長とする<庶民住宅の技術的研究>(1941建築雑誌発表)に関連する会合の場であったと思います。当時先生は住宅営団におられ、既に目覚ましい研究業績をあげられていて、ご意見が注目されていたことを覚えています。その後は、学会以外では先生とお会いする機会が少なく、京大と東大で建築計画の研究室を持つようになった関係で、少なくとも私の方では、常に先生の存在を意識していました。
先生の研究論文、報告、著書には目を通し、『住宅間題』や『これからのすまい』などは何度も読んでボロボロになっています。前にも述べましたように、それまでは建築計画分野の研究は非常に少なく、学会に発表されたものは数点に過ぎません。その意味で、京大建築学科の研究紀要にあたる<建築学研究>は私には貴重に思われ、森田慶一先生のヴィトルヴィウス研究や、藤井厚二先生の<日本の住宅>、人体寸法の研究などにも教えられるところが少なくありませんでした。
東大での講座の主任教授岸田日出刀先生は、大らかな先生で、私の研究には全く干渉されず、私は自分のペースで、やりたいよう進めることが出来たのは幸いでした。1950年は、51C型アパートのほか、総合病院のモデルプラン、成蹊中学校の設計、建築の規模算定の研究等をまとめることができました。東大は研究室の方でも、助手の鄭茂林、大坪昭、青木正夫・浦良一・鈴木成文君に、毎年新たな院生を加え、住宅だけでなく学校、病院、図書館、保育所、浴場等住まいの延長と考えられる施設の建築計画にまで、手を広げるようになりました。その間に、ある程度の<手分け>が進み、住宅は主に鈴木君が担当することになったのです。彼が、大阪市立大学に赴任したことで、西山先生および西山研究室とよく接触できるようになったことは、私達の研究室にとっても幸運だったと思っています。
西山先生とは学会でお会いしたり、はがきで用件を交換したりすることはありましたが、濃厚な接触の機会はありませんでした。神戸で新しい大学づくりをしながら、その機会を活用し得なかったことも、今から考えれば実に残念なことでした。しかしいずれにせよ、建築計画の研究を志すようになってから今日まで、私が学問上一番影響を受けたのは西山夘三先生であることには変わりありません。

第2回 夏の学校 2000
昨年、100人が集まり盛りあがった文庫主催の夏の学校を今年も開催!
テーマ 「歴史の都市こそわが住まい」
日 時 2000年8月3日(木)
12:30受付 〜 5日(土) 17:00 <2泊3日>
場 所 積水ハウス総合住宅研究所(近鉄京都線高の原駅から徒歩15分)および
奈良市音声(オンジョウ)館(ならまち内)など
宿 泊 ならまちの旅館
費 用 一人25000円
(宿泊費、朝昼夕パーティ6食、教材費、移動費、保険料など含みます。)
人 数 約100名
趣旨・特色
・まちなみ保存型まちづくりの先進例=ならまちの成立・展開・変遷の過程、保存運動、今日の課題について現地で具体的に学びます。
・現地調査、現地のまちづくりに取り組む人々との交流から、自分の体と頭を使って、実践的なフィールドワーク、ワークショップを体験します。
・すまい、まちづくりの先駆者=西山夘三の業績の一端を学びます。
・ハウスメーカーの体験的博物館=納得工房で住まいの実際を学びます。
・韓国の学生、全国のさまざまな大学の学生、院生との交流、討論の場となります。
・全国のさまざまな大学の気鋭の学者、建築家、プランナーなど豪華スタッフが指導します。
・院生以上には、研究の進め方、論文のまとめ方などをレクチャーする参加自由の特別セミナーもあります。
<プログラム>(若干変更もあります)
●8月3日(木)
12:30〜13:00 受付
13:00〜13:30 開校式、オリエンテーション
13:30〜15:00 納得工房の見学、西山文庫の見学
15:00〜16:15 第1講義 片方信也日本福祉大学教授「西山夘三と保存問題、解題をかねて」
16:30〜18:00 第2講義 福川裕一千葉大学教授「まちなみ保存の全体像(世界と日本)」
18:30〜20:30 国際交流パーティ(韓国延世大学との交流)
20:30〜21:30 宿舎へ移動
●8月4日(金)
9:00〜10:30 第3講義 森井直良奈良まちづくりセンター副理事長(都市プランナー)
「ならまちの生成と展開」
10:30〜12:00 第4講義 松山 隆奈良町倶楽部代表「ならまちを守り生かす」
12:00〜13:00 昼食
13:00〜17:00 フィールドワーク(班ごとに自由行動)
18:00〜19:00 夕食
19:00〜21:00 分散会A上嶋晴久氏(建築家)
分散会B宮本孝二郎氏(都市プランナー)
分散会C佐々木伸夫氏(奈良市都市計画課)
分散会D特別セミナーMC以上(希望者)
21:00〜 調査まとめ方針議論(班ごとに随時行う)
●8月5日(土)
9:00〜 調査結果のまとめ作業
随時フィールドへ
12:00〜 昼食
13:00〜15:00 音声館 フィールド調査発表会と講評
15:00〜15:30 閉校式・終了証書授与
15:30〜16:00 レポート(感想文)提出・解散