ここでは一部を掲載しています。
2000年の新春にカンパイ!!
ー西山記念文庫が京都府よりNPO法人として認証ー 広原盛明
西山研卒業生と記念文庫との出会い
福井佑吉(積水ハウス顧問)

2000年の新春にカンパイ!!
ー西山記念文庫が京都府よりNPO法人として認証ー 広原盛明
新年あけましておめでとうございます。いよいよ21世紀まであと残すところ僅か1年となりました。2000年の年頭にあたり、西山記念文庫は1999年11月29日に京都府より18番目の特定非営利活動法人として認証を受け、12月6日に法人登記を無事完了したことをご報告申し上げます。以下は、12月7日に大学記者クラブ(京大)での記者発表の概要です。
<NPO法人西山記念文庫の特色及び事業計画>
1.わが国最初のすまい・まちづくりに関する 「NPO研究アーカイブス」
西山記念文庫では、現在、戦前・戦中・戦後60年間(1930年〜90年代)の西山夘三関連の住宅・建築・都市計画に関する研究資料約10万点を、年代別・テーマ別に整理して公開しています。主な資料は、@著作、論文、講義ノート、調査報告等に関するオリジナル原稿、挿絵、図版、初版本、A戦前から戦後にかけての全国各地の住宅や街並みの写真のネガ・スライド(10万枚程度)とスケッチ2300点、B日記(1927年1月〜1994年2月)、フィールドノート、名刺、書簡類(1931年8月〜1994年2月)、C同潤会、住宅営団、戦災復興院、住宅公団など戦中戦後期の住宅復興政策資料などです。
これらの資料に基づく事業計画として、
第1は、住宅営団復刻資料(日本、朝鮮、台湾、中国)を中心とする「戦中戦後期住宅復興政策資料集」(全30巻、日本経済評論社、2000年夏から)の刊行が現在鋭意進行中です。
第2は、現在、急速に散逸しつつある個人及び組織所蔵の研究資料等の保存・整理・活用の方途を探るために、東京・大阪で「住宅・建築・都市計画分野における20世紀の知的遺産をいかに継承するか」と題するシンポジウムと企画展示会を開催(2000年5〜7月)します。これはいわば、すまい・まちづくり分野におけるわが国最初の「NPO研究アーカイブス(archives:
記録保管所)」としての問題提起です。
2.128人の博士学位取得者を擁した高度で多様なすまい・まちづくり専門家集団
本文庫の個人会員382人のうち、349人(92%)が、研究者・建築士・プランナー・コンサルタントなどのすまい・まちづくりの専門家であり、建築学会225人(59%)、都市計画学会146人(38%)、都市住宅学会147人(39%)の正会員です。所属も大学172人(45%)、民間部門116人(30%)、公共部門53人(14%)等と広く分布しており、博士学位の取得者は、工学博士115人(30%)、学術・法学・経済学・医学博士等13人(3%)、計128人(34%)に達しています。地域的には、近畿地方239人(63%)と関東地方82人(22%)が多く、合わせて321人(84%)と大半を占めます。
このような多様で高度な専門家集団としての特色を生かして、1999年夏に開催した全国の建築・住居・都市計画系大学院生を対象とする「夏の学校」をさらに発展させ、2000年度から各大学・大学院との提携により「すまい・まちづくりインターンシップ事業」(単位授与)を立ち上げる予定です。また、すまい・まちづくりに関する実務家の職能研修事業として「すまい・まちづくりリカレント講座」を開催します。
3.持続的に発展する「研究ミュージアム」
本文庫が「西山文庫」ではなく「西山記念文庫」である所以は、第1に、全国のすまい・まちづくりに関する研究資料を研究者個人や関連組織から系統的に蒐集し、当該分野の研究資料センターとして広く内外に公開することを目指していること、第2に、本文庫を拠点として、すまい・まちづくりに関する最新情報や先端的研究の交流を行う機会を設け、すまい・まちづくり研究の学術交流拠点(COE)としての発展を目指している点にあります。今後はNPO法人としての特色をいかんなく発揮して、「持続的に発展する研究ミュージアム」としてのユニークな存在を目指すつもりです。

西山研卒業生と記念文庫との出会い
福井佑吉(積水ハウス顧問)
西山先生の門下でもなく、先生の謦咳にもほとんど接したことのない私が駄文を労する羽目になりました。そのゆえんは申すまでもなく「西山夘三記念
すまい・まちづくり文庫」が今日の姿に収まるについて、仕掛け人や当事者としてこの文庫にかかわりをもったという事実によるものだと思います。それはそうなんですが、なぜそうなったのか、考えていくと理屈を越えた因縁のようなものを感じるのです。
これからのすまい
半世紀前、私は松ヶ崎の建築学生でした。設備の石原正雄先生のお宅に4〜5人の学生が集まり、たしか住宅研究会というのが始まりました。その時のテキストが西山夘三著『これからのすまい』、出版ほやほやの本から京都大学に西山という住宅を研究している先生がいることを知りました。そして「住宅」といわずに「すまい」という言葉を使うことにとても新鮮で、戦後初めて知った民主主義を具現しているような思いをしたことを覚えています。
ブワナトシの歌
積水化学に入社して商品開発をしているうちに『これからのすまい』の影響とはいいませんが、雑貨や家庭用品から建材に、そしてついに住宅の開発に身をおくことになってしまいました。開発第1号は1960年に発表したA型で、鉄とアルミとプラスチックで構成した工業化住宅第1号は、恥ずかしながら「その形は少々みすぼらしく」(プレハブ住宅の歴史・西山夘三)という評価を頂戴したものの、当時チンパンジー調査で勇名を馳せていた京大アフリカ探検隊のキャンプとして提供することが決まり(勿論寄付である)我々には材料の提供と、現地に派遣されるエンジニヤに組み立て方を指導することになりました。組み立て指導は京大のキャンパスに材料を持ち込んで実習することになりました。その時現れた頑丈そうで声の大きいのが片寄という学生で、とにかく教える方も教わる方も一生懸命、半日で終えたように記憶している。屋根の上でやり取りした記憶があります。そこへ西山先生が来られて「片寄君、大丈夫か?」みたいなことを言われて帰って行かれたのを思い出します。その豪快な片寄君から、アフリカの奥地における工業化住宅建設の困難さを、というよりA型のクレームをさらりと報告されて身の細る思いをしました。しかし『ぶわなとしの歌』はとても楽しい本でしたし、<我がA型>がはるか遠くアフリカで建っている図はとても誇らしいものでした。片寄さんとは大阪府企業局で千里ニュータウンのプロジェクトで世話になったり、長崎で先生になられてからは学生の就職は勿論、ハンデキャップ住宅の研究と実践などでその後もお付き合いが続くことになります。
ハンデキャップ住宅
ハンデキャップ住宅といえば、1980年頃からスタートした通産省の新住宅開発プロジェクトに参加を要請され、数あるテーマの中からハンデキャップ住宅を選ぶことになりました。このプロジェクトは産学協同のメンバー20名ほどで編成され、ヘッドが林玉子先生、次に吉田あこ先生でした。それに当社の森埜女史を含む女性3人組は、強烈な開発チームでした。私は吉田先生が西山研究室ご出身と知るのは、かなり後になってからですが、この開発を通じて現場の事実に即して進める開発の力強さを再認識したと思います。このプロジェクトは、数あるお役所のテーマの中で実用性抜群、当社では「生涯住宅研究室」を運営し、全国で販売した障害者向け住宅は1000戸を越えています。また、高齢化の進行にともない、バリアフリー設計が特殊でなく標準的になってきている今日、このプロジェクトで得た知識や人脈は、積水ハウスの優位性に大きく寄与しています。
納得工房
私のサラリーマン現役時代の棹尾を飾ることになった総合住宅研究所の設立プロジェクトは、すまい・まちづくり文庫に直接的にかかわってきます。1980年代中頃、京都府商工部の―何故か大阪でなく京都―小堀課長(現京都商工会議所専務理事)から新しい研究所村を作るハイタッチ研究会に誘われます。そこでは「ハイタッチ」をキーワードにした研究所村を作るとして、京都の中小企業の方々が研究しておられました。当時、我が社の研究所は生産設備に追いたてられながら工場の一隅にあるお粗末なものでした。これを移設補完するだけでは研究会の皆さんの期待にお応えしていない。一方「ハイタッチ」を積水はどう読むか、プロジューサーである小堀氏やメンバーの皆さんが肯くのは勿論、社内で同意というよりは、積極的に投資すべき案件としての立場を作る必要がある。そんな情況のなかで考え出したのが消費者、住まい手自らが住まいについて学習できる「納得工房」です。「納得工房」は住まい手が、建築家や住宅メーカーの独善に惑わされず、自らの経験や知識不足などで失敗しない住計画の「ハイタッチ」化ということになります。
さらに「納得工房」をユニークにしたのは、従来の学校のような教育装置ではなくて学習装置、それも体験学習を主としたシステムを作ったことです。その結果、近畿圏は勿論全国からたくさんの方々に来ていただくことになりました。役人、学生、事業家、消費者団体、マーケティング屋、研究開発関係者など年間3万人を越える方々に来ていただいています。こうなると私も有名人になり新聞・雑誌・TVから学会、はては松ヶ崎の母校や京大にまで講演に出る始末となりました。そのお陰で先生方との新しいつながりが急速に増えました。
西山先生のプレハブ住宅論
総合住宅研究所の建設は1990年に完成、ちょうど創業30年目で記念誌も発行することになりました。編集担当者は、住宅会社の記念誌には住宅学を創始された西山先生の論文が絶対必要だと主張して、京都建築事務所の蓮仏社長にお願いし、西山先生に原稿の依頼をしました。私などは知ったかぶりして「先生は私企業の持ち上げ論文はお書きになるまい」等と言っていると、お書きになるという。しかもいろいろ質問したいので然るべき人に会わせろということになり、「福井さんを指名する」と言われ、京都の事務所でお会いすることになりました。
半日宛2日間のヒヤリングは、主に論文の「プレハブの販売活動」「プレハブ住宅の質」「多様化と住宅のファッション化」「多角化とプレハブの本質追加」「プレハブ住宅の先導性」等の部分にあたるところです。お話していて驚いたのは、建材や物流や消費動向など最新の情報を持っておられたことと、マーケッティングに対する関心の高さでした。そして、私が一生懸命お話したことに同意のサインが論文のあちこちに読み取れるのは、本当にうれしいことでした。耳が遠くなっておられたのでやり取りに骨が折れましたが、題名「積水ハウスとプレハブ住宅の歴史」を見て感激しました。そして、研究所お披露目にお越しいただいて、またびっくりしました。
西山夘三記念 すまい・まちづくり文庫
学会や西山先生の出版記念会などでご挨拶程度のお付き合いだった京都府立大学の広原先生と年賀状を交換するようになったのは、ハイタッチリサーチパークの生みの親、京都府小堀部長のお仕事のお手伝いをして、三人でランチをご一緒してからです。その広原先生からいただいた年賀状に、年明けに相談したいことがあるとありました。それが文庫の話でした。このアイデアは積水ハウス総合住宅研究所以外に考えられぬぴたりの選択、西山先生との浅からぬ因縁でしょう、社内の同意を得るのに時間もかかりませんでした。それから西山先生の教え子達は本当によく働きました。
ハイタッチ・リサーチパーク、積水ハウス総合住宅研究所、納得工房、西山夘三記念すまい・まちづくり文庫は今や一体のもののようです。